読書メモ:リオタール『ポスト・モダンの条件』(1979年)第1章・第2章

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前回に引き続いて、ジャン=フランソワ・リオタールの『ポスト・モダンの条件』の邦訳を読み進めていきたい。

第1章:領野/情報化社会における知(13-19頁)

仮説:「社会がいわゆるポスト・インダストリー時代に入り、文化がポスト・モダン時代に入ると同時に、知のステータスにも変化が生じる」(13)
知のステータスの変化はヨーロッパの再建が終わった1950年代末頃より始まっていたが、その進むスピードは一様ではなかった。

「科学的知識は言説の一種である」(14)
情報機械の多様化は知識の流通を大幅に変化させ、それに伴って知の性質も変化していくだろう。
知が新しい流通回路にとって操作的であり得るためには、知識は多量の情報へと翻訳され得るのでなければならない」「既存の知のなかでそのような翻訳可能性を持たないものは結局は見捨てられてしまうだろう」(15)
知の習得が人格の陶冶に繋がるという考えは衰退していく。
知識の供給者と使用者の関係は商品の生産者と消費者の関係、つまり、価値形態の様相を呈することになるだろう。
知はそれ自体を目的とするものではなくなり、交換されるためのものとなる。このとき知は<使用価値>を失うことになる。
cf.マルクス『経済学批判要綱』
「知は、国家=国民の生産能力を支えるものとしての重要性を確保し続け、さらに一層それを強化する」(16)。これによって、先進国と途上国の格差は拡大し続けるであろう。
情報の支配という問題は商工業に留まらず、軍事や政治の戦略においても一大問題となっていく。

知識は多量の情報へと翻訳可能であるべきという「コミュニケーションの<透明さ>のイデオロギー」にとって、国家は不透明さや騒音となる。
知の性質の変化は「公権力に対して、公権力と大企業との、そして更に一般的には市民社会との、権利上また事実上の諸関係を見直すように求めている」(18)。
ex.多国籍企業が情報網を整備した場合、国家はそれとどのように関わるべきなのか。

第2章:問題/正当化(21-26頁)

科学技術の知が蓄積されるという事態は自明のものとして扱われることが多いが、実は自明ではない。
そもそも、科学的知は知の唯一の在り方ではない。科学的知は物語的知と常に緊張関係にあった。
ポスト・モダンにおける科学的知は今まで以上に「<知る者>の外在化」「知の使用者に対する疎外」を伴うものである。1960年代の大学紛争はこれを一因としたものであり、教育者や研究者の士気低下を招いてもいる。
ポスト・インダストリー社会に向かおうとする流れはそう簡単に止められるものではないにせよ、科学的知の現在や未来におけるステータスについて考察するとき、「学者たちの懐疑」は考慮に入れられるべきである。

科学における正当化
「科学の言説を扱う<為政者>が、ある言表がその言説に属し、科学の共同体によって考慮されるための定められた条件(一般的には、内的な一貫性と実験による検証性という条件)を規制する権限を持つプロセス」(24-25)
為政者による正当化
為政者が法律を規範として公布する権限を持つようになるプロセス

この2つの正当化はプラトン以来不即不離の関係にある。「何が真であるかを決定する権利は、何が正しいかを決定する権利からけっして独立してはいない」
「倫理ないしは政治と呼ばれるもうひとつの言語のジャンルのあいだには関連があって、どちらも同じ展望、あるいは同じ<選択>から生じたものなのである。そして、この選択こそが<西欧>と呼ばれるものなのである」(25)

「知が何であるかを決定するのは誰なのか。そして、どう決定するのがよいかを知っているのは誰なのか。情報化時代における知の問題は、いままで以上に政府の問題なのである」(25-26)。
科学における正当化と為政者における正当化という「二重の正当化」の問題はかつてないほど切実なものとなっている。

 

 

読書メモ:リオタール『ポスト・モダンの条件』(1979年)序

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ジャン=フランソワ・リオタールの『ポスト・モダンの条件 知・社会・言語ゲーム』(1979年)の邦訳を読んでみようと思う。というのも、ポスト・トゥルースなる語が流行するに至り、ポストモダン思想に対する注目が高まっているからである(例えば、『現代思想』の2021年6月号はポストモダン特集だった)。また、「ポストモダンは価値相対主義である」という通俗的な理解、特にTwitter上でよく見かける見解の当否について考える上でも、リオタールを読むことは避けては通れまいと判断した。
※同書はカナダのケベック州大学協議会に提出された報告書を基にしているようで、そのせいかフランス現代思想特有の難解さが薄れていて比較的読みやすいように思う。他の著作もこうであったら良かったのに。

序(7-12頁)

ポストモダンとは「高度に発展した先進社会における知の現在の状況」である(7)。
科学と物語は常に緊張関係にあり、科学の判断基準に照らし合わせれば、物語の多くは単なる寓話となる。
but
科学が単に有用な規則性を言表するだけに留まらず、真なるものを探究する営みであるならば、科学は自らのゲームの規則を正当化しなければならない。それを正当化する言説は哲学と呼ばれてきた。
自らを正当化する大きな物語に依拠する科学をモダンと呼ぶことにする。真理が大きな物語に依拠するとき、諸制度や正義も大きな物語に依拠することになる。

ポストモダンとはメタ物語に対する不信感である
メタ物語に対する不信感は科学の進歩の結果であるが、科学の進歩はそうした不信感を前提にしている。
メタ物語の衰退は形而上学としての哲学の危機、メタ物語に依存していた大学制度の危機に対応するものである。
「われわれは必ずしも安定した言語の組み合わせを形成してはいないし、われわれが形成する言語の組み合わせの特性は必ずしも疎通可能なものであるわけではない」(9)。

「到来しつつある社会は、(構造主義ありはシステム理論が示すような)ニュートン的人類学に属するよりは、むしろ一層、分子論的な言語行為論に属しているのだ。多くの異なった言語ゲームがあり、すなわち言語要素の異質性がある」。

ポストモダン状況では「言語要素の共約可能性とその全体に対する決定可能性とを暗黙のうちに前提とするような論理に従って」、「多様な社会性の雲を統制しようとする」(9-10)。
このとき、人間の生は力の果てしない増大のために捧げられるようになる。また、社会的正義や科学的真理の正当化はシステムの効率化に寄与するか否かという基準に則って行われることになる。
この基準がすべてのゲームに適用されるとき、操作的・共約的ではないものは排除されることになる。

システムの最大効率を求める論理は破綻をきたしているが、論理の破綻に対する救いを将来に期待することは最早できない状態にある。
but
「ポスト・モダン状況はただ幻滅に結び付いているわけではなく、また正当化を失った盲目的な実証主義に結びついているわけでもない。メタ物語が崩れた後で、正当性はいったいどこに存するのか」(10)
操作性という基準はテクノロジーの物であって、真理か否かを判定するものではない。また、ハーバーマスは議論を通して得られるコンセンサスに正当性のよりどころを求めようとしているが、それは言語ゲームの異質性を排除する点で問題である。と言うのも、新しいものを生み出すには意見の相違が必要不可欠だからである。
「ポスト・モダンの知はけっしてただ単に諸権力の装置であるのではない。それは、差異に対するわれわれの感受性をより細やかに、より鋭く、また共約不可能なものに耐えるわれわれの能力をより強くする
ポスト・モダンの知はその根拠を専門家のホモロジーにではなく、発明家たちのパラロジーに見出す。
問い:「社会関係の正当化、公正な社会―これらは、科学の活動におけるパラドックスと同様なパラドックスに従って実践可能だろうか。その場合のパラドックスとはどのようなものだろうか」(11)

リオタールは自らを専門家ではなく、哲学者と位置付ける。「専門家は自分が何を知り、何を知らないでいるかを知っているが、哲学者はそうではない。専門家は結論し、哲学者は問いかける。それは二つの異なる言語ゲームである。」(12)
本書においては、専門家の言語ゲームと哲学者のそれが混交状態にある。
「哲学的あるいは倫理・政治的な幾つかの正当化の言説について、その形式ならびに言語行為の分析」の出版は後日に譲るほかないが*1、本書はその分析を先取りして要約したものである。

田辺元ポストモダン思想家と解釈する向き(中沢新一氏など)もあるわけだが、リオタールに即するなら田辺はモダン思想家である。田辺に「メタ物語に対する不信感」はないどころか、むしろ信頼し続けていたと言えるはず。

*1:それこそがリオタールの主著『文の抗争』(1984年)なのだろうか?

読書メモ:野家啓一『物語の哲学』(2005年増補)序

 西田幾多郎田辺元ら京都学派の哲学者たちにとって、歴史が重要な問題であったことは今更言うまでもあるまい。下村寅太郎高坂正顕に至っては生涯を貫く問題であった。ところで、彼らが歴史をどう理解していたかという問題から進み、彼らが展開した歴史哲学のアクチュアリティとか現代的意義を論じようとする場合、ある大きな問題が浮上してくる。それは彼らの歴史哲学が物語論を踏まえていないという問題である。今日では、歴史哲学は物語論を抜きに展開しえないとされているそうだが、物語論が出てくる以前に亡くなった西田や田辺は勿論、それ以降も生きた西谷啓治や下村ですら、物語論を踏まえることなく(少なくとも彼らの著作の中に物語論を参照した形跡はない)歴史を論じている。
 上で述べた問題について自分なりの見解を持ちたいと思って早5年以上が経過してしまったわけだが、未だに本格的に取り組む準備ができていない。また、他の事柄(中村雄二郎の哲学など)に関心が向いていることもあって、今後も手を付けられる余裕が出てきそうにない。ただ、物語論について基礎的なことを抑えることくらいはしたいと思い、野家啓一氏の『物語の哲学』(原著出版年:1996年、増補新版:2005年)をゆっくり読み進めようと思った次第である。
 なお、今後読んでいくのは2005年に岩波現代文庫として出版された増補新版の方である。

序:「歴史の終焉」と物語の復権(1-14頁)

「「歴史」がすでに往年の特権的な光と輝きを喪失しているとすれば、われわれはまさに「神の死」ならぬ「歴史の死」に立ち会っているのである。もちろん、歴史的時間が停止したわけではない。停止したのは、個人の行為や個々の歴史的出来事をあまねく意味づけ、支配してきた「大文字の歴史」ないしは「超越論的歴史」の権能である」(3)
フランシス・フクヤマ以前に、中村雄二郎がコジェーブを参照して「歴史の終焉」を論じていたことは慧眼であった。
「歴史の終焉」に意味があるとすれば、それは「超越論的歴史」というヨーロッパの特殊な歴史観に基づく歴史哲学の終焉、「歴史の目的論」の衰亡という意味においてである。それ以外にはない。
コジェーブとフクヤマは「歴史の終焉」を現代の世界情勢と安易に結び付けており、彼らの議論は床屋政談の域を出ていない。「むしろ「超越論的歴史」の終焉は「歴史の始元」や「歴史の終焉」を大仰に説くような言説、すなわちヘーゲルコジェーヴフクヤマ的言説の終焉をこそ宣告している」(8)

コジェーブは「歴史を「物語る」という言語行為によって構成されるもの」という見方を示唆したが、これこそ「歴史の終焉」以後に「歴史」を語りうる唯一の立場である(10)。

歴史的な出来事は複数の出来事を関連付ける「人間的コンテクスト」において、生成・増殖・変容・忘却される。つまり、「過去の出来事は新たな「物語行為」に応じて修正され、再編成される」(11)。
※これ自体は当たり前のことでしかない。
「歴史は絶えず生成と変化を続けていくリゾーム状の「生き物」なのである」(12)

予想される反論:過去の変化は過去に対する評価が変化しただけであり、過去に起きた出来事そのものは変化していない。
それに対する応答:人間的コンテクストから独立した「出来事そのもの」は物語られる歴史の中には存在し得ない。「出来事そのもの」を同定するためにも、われわれは人間的コンテクストを必要とする。

「物語文は、諸々の出来事の間の関係を繰り返し記述しなおすことによって、われわれの歴史を幾重にも重層化して行く一種の「解釈装置」だと言うことができる。いわゆる「歴史的事実」なるものは、絶えざる「解釈学的変形」の過程を通じて濾過され沈殿していった共同体の記憶のようなものである」(12-13)
cf.大森荘蔵の「過去の制作」

歴史は「人間によって語り継がれてきた無数の物語文から成る記述のネットワーク」のことであり、そのネットワークは増殖と変容を繰り返す(13)。それによって、ネットワーク全体の布置が変化し、既存の歴史は再構成されることになる。「過去は未来と同様に「開かれている」のであり、歴史は本来的に「未完結」なのである」。
物語文はその本質において可謬的であり、「いかなる物語文も修正を免れない」と言える。

「人間は「物語る動物」あるいは「物語る欲望に取り憑かれた存在」である。それゆえ、われわれが「物語る」ことを止めない限り、歴史には「完結」もなければ「終焉」もありはしない」(13-14)
「歴史の終焉」をめぐる議論は「超越論的歴史」に引導を渡すと共に、歴史記述における「物語の復権」を促すという一点において意義あるものとなる。
「物語の復権」は歴史を「神の視点」から解放し、「人間の視点」へと連れ戻すことでもある。
「超越論的歴史」の終焉によって、我々は真の意味での歴史哲学を構築できる唯一の地点に到達したと言える。

読書メモ:中村雄二郎「現代思想と西田幾多郎」(1985年)

1985年6月15日、中村雄二郎学習院大学で開催された「西田幾多郎博士記念講演会」で講演を行った。その記録に加筆・修正を施したものが今回取り上げる「現代思想西田幾多郎」である。中村の西田哲学論の概略を示す論文であり、「問題群としての西田幾多郎」(1983年)よりもまとまっているため、中村雄二郎による西田哲学受容というテーマに関心がある人が最初に読むべき論文だと言えると思う。

なお、今回参照したのは『中村雄二郎著作集』第7巻(1993年)に収録されているバージョンである。

現代思想西田幾多郎

はじめに(197-199頁)

上田閑照氏は「ご自身が禅についての専門家でもあり、接近の仕方として西田に即して内在的に問題をとらえ深めようとこれまでもなさってきている。それに対して私のほうは、西田哲学をあえて外側からとらえようとしてきました。<外側>からなどというと外在的というか恣意的というか、勝手に西田哲学をとらえる態度だと考えられそうですが、そうではないのです。この場合、<外側>からというのは、西田哲学を気になる<問題群>として持ちつづけて、それとの対話をつづける」ということである(197)。

西田の術語をそのまま使用して西田哲学を論じるだけでは、西田哲学を真に論じたことにはならないのではないか。西田哲学を真に論じるには、西田の術語を超えていく必要がある。

この講演で、中村は「現代思想・現代哲学の主要なポイントを考えていくとおのずと西田哲学的な問題に出会う」というアプローチを採用している。これは西田哲学を脱中心化して捉えるためである。

第1節:<西田-三木問題>(199-203頁)

表題にある現代思想とは「流行現象としての現代の諸思想のことではなくて、それらの底におのずと露わにされてきた知の新しい地平、哲学の新しい地平」のことである(199)。

投獄直前、三木清は「東洋的現実主義の完成としての西田哲学」と対決し、将来の新しい日本の哲学を構築しようとしていた。
今振り返るに、三木のこの姿勢は日本の哲学界に対する遺言ともいうべきものだが、日本の哲学界はそれに十分応答してこなかった。「このような日本人の態度は、およそ哲学的には自殺的な行為に近い。自分自身の過去を無視し忘れて、それと正当に向かい合うことをしないから」である(201)。

情念論や制度論について思索を進めていくうちに、中村は三木の『構想力の論理』の背後にあった西田哲学の問題の大きさに気が付いた。中村と西田は考えの上でずれる点も多かったが、中村はそのズレを性急に解消しようとはしなかった。

「かつて第二次大戦前の昭和初年・昭和10年代にあれほど広くかつ深く日本人の心をとらえた西田哲学を十分な検討もしないで、あたかも問題が解消したように扱うのは、自分たち自身を冒涜するものだと言わざるをえないのですが、それとともに勿体ないのは、日本人の自己認識の源泉を見棄てているのに気がつかないことです。しかもその自己認識は、それだけにとどまらず、さらに、普遍的な知に繋がるはずです。だから、西田哲学の検討を怠るのは哲学上のサボタージュにさえなる」(202)

当初、中村は西田哲学における制度論の不在に不満を覚えていたが、制度論を通して西田哲学を見直すことができた。
西田哲学を見直す際、中村は「西田哲学の全体を一度解体した上で、それをふたたび構築する」というアプローチを採用した。これは脱構築に近い。
中村の脱構築ニーチェハイデガーの系譜に属するものである。広い意味の脱構築デリダの専売特許ではない。

第2節:知の新しい地平(203-209頁)

現代思想のポイントの1つ目は<反哲学>である。この語は西洋哲学の伝統の中にプラトン形而上学の支配が隠されていることを告発し、それを乗り越えようとしたフーコー(出来事としての言説)、デリダ(根元的言語の自由な働き)、ドゥルーズ(オリジナルとコピーという対立の否定、および差異)の立場のことを指す。
この3人は「同一性にもとづく概念的真理に代わって、差異性にもとづくじゆうな言語表現を重視している」という共通項を有する(204)。

2つ目は深層的人間の発見である。アリエスによる子供の「発見」、フーコーによる狂人の「発見」、レヴィ=ストロースによる未開人の「発見」を総称していう。これは近代社会の内部と外部で固定化された人間(子供)あるいは見捨てられた人間(未開人と狂人)の発見である。
この3つを深層的人間と呼ぶのは、彼らの生が無意識や身体性を強く帯びているからである。
中村は第4の深層的人間として女性を取り上げる。女性ないしは女性原理を取り上げた先駆者としてユングノイマンが存在するが、中村は2人のように女性を単体で取り上げるのではなく、女性を他の3種の深層的人間と結びつけた。
デカルトの言うところの人間によって代表される近代人の典型、理性的人間(男性)を相対化しようとし、深層的人間をとらえていくと、女性の存在を考えざるをえない」(207)

現代思想のポイントの3つ目は<非体系的>な知の積極的評価である。<非体系的>な知の典型はグレゴリー・ベイトソンである。
構造主義以前・以後で知の在り方は大きく変化した。構造主義以前は知の体系化が志向されていたが、構造主義以後は知の脱中心化(絶えず探求し続ける知)が志向されている。この変化は原理的かつ文明論的な意味を有する。

ベイトソンの理論は4つの深層的人間すべてを射程に収めるものである。
ベイトソンの仕事は「一見ばらばらなようにみえながらも、実は緊密につながっているんです。ただそのつながり方が、体系的な全体化によるのではなくて、もっと別な、<通底>ともいうべきものによっている。つまり、個々の問題を掘り下げていくときにおのずと出会う結びつき」のことである(209)。

第3節:言語・身体・場所(209-214頁)

西田の思索は体系的なものからはみ出すようなものであったが、西田自身はそのことを十分に自覚しておらず、体系的な哲学を構築しようとしていた。しかも、西田哲学の解釈者や祖述者までもが、西田哲学を体系的な哲学として強引に理解しようとした。

そうした従来の解釈に対し、中村は西田哲学の基本性格を反哲学的と規定する。
西田幾多郎が自分では意図も意識もせずに、その哲学がおのずと―四十年以上もあとになって、知の形態として明らかになった―<反哲学>に近づいた」(211)

現代思想においては、言語・身体・場所が注目されているが、この3つは西田哲学においても重要な意味を持っている。
※西田哲学でいう「場所」は究極的には全てを包む無の場所を意味するが、空間的な場所と全く関係がない概念ではない。

一見すると、西田哲学は言語よりも概念・論理を重視していたように思える。それどころか「包摂関係その他、形式論理の主要な考え方から引き出せるものはすべて引き出しているようなところもある」(213)
but
中村は「西田の論文のなかに出てくる諸概念の説明を要約しようとして試みながらうまくいかないで往生した経験」から、西田哲学が概念的・論理的であるというよりもむしろ、言語的であるという確信を得た。
西田の書くものの独特の晦渋さは、一方で論理化・概念化しにくいものを論理化・概念化していながら、と同時に他方で、西田自身の意図をこえて言語の差異化、差異の戯れが活発に行われているためだと思う」(214)

第4節:通底する<深層の知>(214-218頁)

西田哲学と特に深くかかわる深層的人間は、狂人と女性(狂気と女性原理)である。
cf木村敏分裂病現象学』及び上山春平の「凹型の思想」
「私たち人間は誰でも心の深層に狂気を宿しており、そういう心の深層に、西田哲学は独自の方法で近づきえた」(215)
「西田哲学は表面的にはあくまで論理主義のかたちをとりながら、パトス的・感性的・無意識的側面を少なからず持っており、そのために日本の哲学には珍しく創造的でありえたのではないか」(216)

西田哲学は「もの、ディテール、領域などのそれぞれに即して考え、探求していく」という現象学的な方法を採用しており、内面世界や深層のリアリティを見事に探り当てている一方、言語表現の在り方としては林達夫が言う「エッセー的性格」を帯びている。

第5節:世界の場のなかで(218-)

中村が西田哲学と現代思想を関連させて考察しているのは、「<西田-三木問題>を日本の現代思想・現代哲学の問題として生き返らせるため」である(219)。}
敢えてフランス語で西田哲学を論じたのも、日本人にしか分からない議論は日本の現代哲学の名に値しないという思いがあったからである

西田哲学の鍵概念の中で、中村が特に関心を抱いたのは行為的直観である。行為的直観はケネス・バークがいう<行為・受苦・認識>と結びつきつつ、身体性を帯びた相互行為を考える際に大きな手掛かりとなる概念である。
<行為的直観>のわかりにくさは、演劇におけるパトス的行動というもののわかりにくさ」である(222)。

「西田哲学の含む諸問題は、それがきわめて根本的、本質的であるために、われわれが十分検討して開かれたかたちで出すなら、人類の共通な哲学的財産になりうる可能性がある」(223)

おわりに(224-226頁)

 1985年の時点で、「西田哲学が有する射程はどこまでなのか」という問題は中村の中で未解決の状態にあった。

ヘーゲル的な弁証法は「現実界、表層的なレヴェルにできるだけ即しながら、深層のリアリティをとりこみ、イメージ的全体性を言述的に―言語論理的に―とらえた方法」だが、このやり方では深層のリアリティに十分接近できない(224-225)。
but
この限界を突破しようとすると、弁証法は言述的論理ではなくなってしまう。「西田哲学はこれまでにあまりなかった深層のリアリティの探究を場所的弁証法(絶対無の弁証法)によって企てたわけですが、それはすでに弁証法論理ではありえない」(225)
さらに言えば、キルケゴールの質的弁証法やバルトの弁証法的神学も弁証法論理ではない*1

この問題を解く2つの鍵
弁証法に関わる言語の様々な形態を明らかにする
・表層の知と深層の知の新しい結び付け方を発見する。

*1:田辺元の絶対弁証法・「死の弁証法」はどうなるのだろうか

読書メモ:中村雄二郎『哲学入門 生き方の確実な基礎』(1967年)はじめに+序論Ⅰ

 

中村雄二郎は1967年に中公新書の1冊として『哲学入門 生き方の確実な基礎』を世に出した。この時期の中村は制度論と情念論の統合というテーマと格闘していたが、まだ解決の糸口を見つけられていなかった*1。『哲学入門』は中村にとってのいわば「悪戦苦闘のドキュメント」の1つだと言える。中村自身も同書を「気持ちの余裕がまだ私になく、自分の思いをあれもこれもとしゃにむに書き込んだ」「読者のことなどお構いなしに自分のために書いている」などと評している*2。後年の中村の著作に比べると読みにくい作品ではあるが、中村の思索の歩みを追う上で外せない著作なので、いつものようにメモを取りながら読んでいくことにする。
なお、今回取り上げる「はじめに」は新書版に収録されているものを、序論Ⅰは『中村雄二郎著作集』第4巻に収録されているバージョンを参照した。

はじめに(i-iii頁)

『哲学入門』は中村が「これまで「哲学」のなかで、また「哲学」をとおして考えてきたこと、学んできたことの要点を、自分自身のなかで確認しながら、できるだけ整理して組織化し、それをとおして、「哲学」とはなにか、あるいはむしろ、「哲学的に考える」とはどういうことなのか、をあらためて問いなおした」著作である(i)*3

哲学の定義が多様であることと哲学が普遍性を目指していることは矛盾しない。なぜなら「普遍性をめざすということは、独善的に自己の立場の絶対性を主張することではなくて、たえず自己の立場を問いなおすことであり、またそれをとおして、自己の立場を鍛えあげていくことだからである」。
問いなおしを不毛なものにしないためには、問いなおしを人間の具体的な活動の諸領域の中で展開する必要がある。

中村が取り上げてきた4つの問題
・自然科学および社会科学と人間の問題
・個人的情念および社会的情念と美意識の問題
・歴史的現実と集団生活が生み出す「第二の自然」としての制度の問題
・思考や精神のあり方そのものとしての対話・論争の問題

『哲学入門』は哲学入門ではなく、これまでの中村哲学の総まとめの書であり、これからの中村哲学の序説とも言うべき本である

序論Ⅰ:哲学の再発見

第1節:生き方の確実な基礎(281-284頁)

我々は「生きがい」を求めているが、その「生きがい」は社会の価値観・価値基準に即して有意義であるとされる。通常、我々はこのことを意識していないが、社会の価値観・価値基準が動揺し始めると「生きがい」を意識せざるを得なくなる。また、生きがいに物足りなさや空しさを感じたときも、「生きがい」を意識することになる。
哲学を求めるとは「できるだけ確実な基礎の上にのっとった考え方や生き方を求め、手に入れようとすること」だと言える(282)。
生き方の確実な基礎を求めるとき、それまで自明とされていたものをも問い直す必要があるが、それは「意欲的な思考と大いなる生命力のあらわれでなければならない」。懐疑のための懐疑なぞではない。

我々の生き方・考え方を保証する確実性は2つの方向に求められる。その2つとは事物・事実の認識に関する確実性と我々の考え方や生き方に確信を与える確実性であるが、不幸なことに、この2つはなかなか一致しない。
2つの確実性を一致させるには「事実認識や知識を、自己のうちに統一性をもった人生観、世界観たらしめる」必要がある(283)。生きている人間であれば程度の差こそあれど、誰もがそうした努力をしている。
but
ただ生きるのではなく、よく生きるにはこうした努力を自覚的かつ厳密に行う必要がある。

第2節:フィジックスとメタ・フィジックス(284-292頁)

哲学を求めることが確実な基礎の上に則った考え方や生き方を求めることであるならば、哲学が特に強く求められる時代とそうではない時代が存在することになる。

・戦前から戦中にかけて、日本の主流哲学が戦争を肯定する役割を担い、悪しき観念論に堕したことへの強い反省
イデオロギー批判と<科学>性を標榜するマルクス主義的な<社会科学>の隆盛
・戦後、日本の哲学者は海外の哲学を紹介することに忙殺された
以上3つのために、日本の哲学は十分に深化・成熟することができなかった。

哲学が形骸化するのは、哲学がその内部に閉じこもって自己目的化するためである。それを回避するために、社会諸科学によってもたらされる多くの具体的データや我々が生きる現実に身をさらすことによって、哲学は鍛えなおされるべきである。
but
哲学が思想へと拡散し、それと同時期に社会諸科学が隆盛したことは素材主義や<社会科学>の教条化をもたらし、原理的な究明や前提への問い直しを疎かにさせた。

中村自身は「<哲学とはなにか>というようなことをあまり厳密には考えずに、ただ<人間の問題>への関心と、自分自身の考え方や生き方の基礎づけのために、もっとも自由な思考の領域として哲学という道を選んだ。人間と自分の問題について、枠にとらわれずにどのような角度から考えてもいいもの、と自分で勝手に考えることにした」(286)

戦前から戦中にかけて、中村は物理学にこそ最も確実な心理があると考え、物理学を専攻していた。怪しげな思想が流行していた当時において、物理学がもたらす自然の心理は唯一信頼できる心の支えであった。
敗戦後、人々の価値観は一気に変化した。そんな「不気味であり、奇怪な光景」が中村に与えた衝撃は大きく、選考を物理学から哲学に変更するに至った。「自己の言動に責任をもつべき学者や知識人たちの、あまりの変わり身の早さ」に驚きを禁じ得なかったという(286-287)。
しかも、その急な変化は敗戦によってやむなく起こったというよりも、自発的に積極的に行われたと中村の目には映った。

中村の思索の歩みは「必ずしも、わが国の哲学・思想界の歩みに沿ってきたわけではない。私には天の邪鬼的なところがあるようだし、天の邪鬼的なものは哲学的精神に全く無縁だとも思わないので、一人で自分の道を、それもまっしぐらにではなく、ところどころで寄り道をしながら、歩いてきた」と言える(288)。

中村の思索の歩みと戦後日本の思想界の動向との間には決定的に食い違う点が一つある。
終戦後、日本の思想界は観念論や形而上学を目の仇にし、<科学>が唯一の真理であるかのように扱われた。「戦争中の<事物の論理>に対する蔑視および極端な精神主義への反省の結果であるとも言えようが、事実は、反省というよりは、単なる裏がえしだったことが多い」
中村はこうした傾向をフィジックス主義と呼ぶ。
戦後の日本の思想界では、マルクス主義プラグマティズムどころか実存主義までもがフィジックス主義の中で受容された。
哲学は「事物についての、より論理化され概念化された原理的思考であるのに対して、思想はもっと素材やデータに即し、そこにあるさまざまな問題や意味を思いめぐらす志向である」(289)。フィジックス主義の流れの中で、哲学より思想という語が好んで使用されたのはそのためである。
実証、データ、素材などが意味や秩序を与えられないまま氾濫するとき、そこでは物事の意味が希薄になり、もののけじめが曖昧になる。

再び哲学を求める傾向が表れたのは、物事の意味やけじめ、秩序が強く求められるようになったからであろう。それも「教条的に外から与えられたものではなく、自分自身で考えることなしには、自分の<意味>や<秩序>にならないことに気づかれるようになった」(289-290)。

物事の意味や秩序などは、フィジックスに即しつつ、しかもなんらかの意味で、フィジックスを超えたところに立たないかぎり、これを与えることも考えることもできないし、物事について原理的かつ自由に考えるということもそういう地点に立たなければ不可能である」(290)
それ故、中村は<哲学>とは<形而上学>であると主張するが、これは戦後の日本の思想界における形而上学観とは大きく異なるものである。

実証主義者や弁証法の立場に立つ論者は形而上学を抽象的・思弁的と批判するが、元々、形而上学は現実の全体的な把握を目指したものであったはずである。
形而上学がいかなるものであるかは、基礎としての自然あるいは自然学(科学)からの<超越>の仕方にこそある」(291-292)
形而上学が科学との結びつきを失う形で科学を<超越>するならば、思弁的かつ独断的なものとなる。一方、形而上学が自然や科学に直接拘束されるとき、<超越>というものはなくなってしまう。
形而上学は自然や科学と結びつきつつ断絶しているものだと言える。

また、形而上学は<創造的観念>を駆使するものであり、「あたかも光の当たらないうちは姿をあらわさなかった眼前の存在を、くっきり照らし出す光のようなものとしての意味を持っている」(292)

第3節:絶えざる自己還帰(293-296頁)

今日の日本の哲学界・思想界において<哲学>は再発見されるべき時期に来ていると言えるが、そもそも<再発見>は哲学本来の機能を示すものである。科学は<発見>の機能を担い、哲学は<再発見>の機能を担う。
今日、科学は自然や社会の問題どころか人間の問題をも扱うようになった。ここに至り、哲学はそれが扱うべき固有の領域を喪失したといっても良い。
but
それは哲学にとって必ずしも不都合なことではない。「哲学はまさに根本からその存在意味を問いなおされ」、「それをとおして、かえって、新しい意味での復権の可能性が見出されるからである」(294)。
哲学は「ある特定の対象領域を持つのでなく、その意味で実体的なものでなく、機能的あるいはむしろ運動的なものである」。古来より、優れた思想家や哲学者はそのこと知っていたし、少なくとも体現していた。
cf.パスカル「哲学を蔑視すること、それが哲学することだ」

諸科学・芸術・宗教において「既成の在り方の否定を通した自己の問い直し」が行われるのは、別の何かを目的としてのことだが、哲学においてはそれ自体が目的となる。
哲学の哲学たるゆえんは「否定をとおしての自己還帰の運動、自己を問いなおし、出立点に立ちかえる運動そのもの」にあり、ここに哲学の分野としての曖昧さ・特異性がある(295)。

哲学や思想、理論や学説は記憶したり崇拝したりすべきものではなく、疑いつつ絶えず自分の頭で再発見されるべきものである教条主義、経典主義、権威主義は思想や哲学ではない。

 

 

*1:翌年、中村は情念論と制度論を統合するカギとしてソシュールらによる構造主義の言語論に注目するようになるが、構造主義の緻密な言語論を自己の哲学に組みこむことは容易ではなかったらしく、理論的にも精神的にも追い込まれていった。この難問は「共通感覚の発見」によって「解決」されることになるが、それについては後日取り上げたい。

*2:中村雄二郎著作集』第4巻367頁

*3:中村は後年の『述語集』(1984年)や『問題群』(1988年)で「哲学の知とされるものの中で、世間の人々に広く届けるべきものは何か、そしてそれをどのように届けるべきか」という問題に向き合うことになるが、この記述からわかるように、『哲学入門』執筆時の中村にそのような問題意識はなかったと思われる。

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第3編第14章

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今回取り上げるのは中村雄二郎『現代情念論』の第3編第14章「小林秀雄における美意識と政治」である。この文章は中村が小林秀雄を論じた文章の中で、最もわかりやすいものだと思う。
今回も、1994年に出た講談社学術文庫版を参照している。

第14章:小林秀雄における美意識と政治(264-)

小林秀雄ベルクソン論は単なるベルクソン哲学の解説にとどまっており、もしそこにオリジナリティがあるとすれば、冒頭にある亡き母と蛍の話とベルクソンに対する執拗な情熱だけであろう。
小林の歴史観はいかにもベルクソン的であり、もうすでにベルクソン哲学から得られるものは十分自分のものにしているように思える。それにも拘らず、敢えてベルクソン論を書いているのは何故なのか。

小林は対話的な人ではなく、他人を理解する姿勢にも他人から理解される姿勢にも欠ける。

ベルクソンユダヤ教を棄ててカトリックに改宗したことは、単に「信仰を得た」で片づけられる話ではないはずだが、小林はそこに「信仰を得た後に何を語ることがあろうか」という神秘的沈黙しか見なかった。

ジャンヌ・マリタンはベルクソンの哲学の意義を認めつつも、「ベルクソニズムの思想と表現はきわめて個人的であり、人と人との間を結びつけるというよりは、人と人との連繋を断ちきって、一人一人を個我のなかに閉じこめる。そこでとらえられた真理は微妙ではあるが、不安定であり、堅固さを欠いている」と批判した(268)。
マリタンのベルクソン批判は小林にも当てはまるのではないか。

小林秀雄の作家論に共通して言えることは、「その文章が個々の作家の人生や芸術を簡単に解いてくれるというよりは、いかにかれらの孤独が奥深く、測り知れざるものがあり、「独創的」であって、「心虚しからざる」人々の理解を拒絶するか、そして、単なる実証的な研究や学問上の定説が、いかに真相をおおっているか」と独特な文体で論じているということである(269)。
読者は小林の独特な文章を読み解いた末に「真相」を垣間見ることができるが、真相は一層謎めいたものとして映るばかりである。

小林は源実朝にすらも近代的な「独創的な孤独」を見出している。
「ギラギラした、そして切迫した近代性と、永遠の相への超越―ヨーロッパの通念では、ほとんど回心によってでもなければ結びつきえない二つのものが、小林秀雄のなかでは微妙に融け合っている」(270-271)。
小林において、熾烈な自意識とそこからの解放は無媒介に結びつき、相互に浸透していると言える。
小林の思想を貫き支えているのは厳しさの美、美の厳しさ、美的ストイシズムとも言うべきものであり、そこに論理の一貫性や論理的徹底を見出そうとするのは無駄である。

小林にとって自意識からの解放とは、「解釈を拒絶するもの」への途である。それは美的超越とも言うべき途である。
美的超越は美意識化でもあるため、切迫した近代性と永遠の相への超越を融合・共存させることができた。
両者の融合は昭和初期の日本の知識人たちに共通する願望であり、小林はそれを成し遂げたように見えたからこそ、あれほどの名声を博したのだろう。
美的超越の途を行く以上、小林の思想は神秘主義と結びつくことはあっても、超越的な宗教と結びつくことはできないのではないか。美はそれ自身が救いなのだから。
一方、形而上学ベルクソン神秘主義は宗教に結び付きうる。形而上学それ自体は救いではないのだから。

小林が物質的なものを頑なに拒絶するのは、自意識からの解放の途として美的超越を選んだことと結びつく。
物質は解釈を拒絶するものではあるが、人生や芸術とは正反対の方向にあるもので、厳しい美の世界にとって異物でしかない。それ故、小林は物質を自己の思想から排除しようとする。
cf.小林のピカソ論とプラトン

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第2編第2章

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前回の記事の投稿から少し間が開いてしまった感があるわけだが、とりあえず再開してみたいと思う。今回取り上げる箇所は『無の自覚的限定』に収録されている論文のうち「表現的自己の自己限定」から「私と汝」までを扱った箇所である。柳田は論文「私と汝」を以て西田哲学の中期と後期の境界線とするという独特な理解を示しているわけだが、この理解については次回以降で扱えれば扱うことにしたい。

第2編:無の自覚の倫理

第2章:無の行為的自覚(193-)

「イデヤ的なものは常に事実的なるものに即したものとして之を絶対無の自覚のノエシス的限定の方向に深めたものと考えられるが、かかるイデヤの事実性というも歴史的事実の意味」を持っている(199)。
イデアとは歴史的事実の底において、ノエシス的方向に見られるものである。
自己自信を失うことによってのみ、我々は絶対無の自覚に到達することができる。絶対無の自覚の内容は事実的である。
「自己に於て自己を限定するものが絶対の無なるが故に事実が事実自身を限定すると考えられる」(200)
絶対無の自覚とは絶対に非合理なものを合理化することである。
絶対無の自覚の立場においては、「自己限定的な事実そのものがノエマ的自覚の内容でもあれば又ノエシス的意義に於ての真の自己でもある」(201)。これは絶対無から流れ出て絶対無に流れ去る無限の流れに例えることができる*1

自覚は志向作用の極限において成立するのではなく、自覚によって志向作用が成立するのである。
「直観とか直覚とかいうことは対象的限定の方向に無限に自己自身を限定する対象的なるものが見られなくなると共に、反省的限定の方向に無限に自己自身を限定する自己というものも見られなくなり、「有るもの」が有るがままに自己自身を見るものとなるということである」(205)

「真に自己自身に矛盾するものは存在そのものが矛盾でなければならない。この意味に於て真の自己矛盾的存在とは我々の意志とか行為とかいう如きものでなければならない。行為の世界にあっては肉的なもの感官的なものがそれ自身最深の意味に於て自己矛盾的なもの」である(213-214)。
人格的事実は自己限定的「今」の内容として原始的歴史の事実とも言える。ただし、ここで言う原始的歴史とは歴史の始まりを意味するのではなく、「形成作用的な歴史的世界に於ける根源的事実、即ち一般的限定即個体的限定、個体的限定即一般的限定として行為的即表現的に物が見られてゆくこと、無の一般者の自覚的限定として事実が事実を限定すること」を意味する(216)。
「哲学は思弁的といわれるが哲学は単なる理論的要求から起るものではなく行為的自己が自己自身を見る所から始まる。内的生命の自覚なくして哲学というものはない。此の意味で哲学の真の問題は人生問題にある、行為的自己の矛盾的現実の悩みをはなれて哲学の真の動機は存しない

無の自覚的限定には2つの方向が存する。
直線的限定
ノエマ的限定に沿って弁証法的に自己自身を限定するもの、時間的歴史的に自己自身を限定するもの
円環的限定
ノエシス的限定に沿って弁証法的運動を包み、それを超越するもの
自愛は直線的限定の方向に、他愛は円環的限定の方向に考えられる
「真の他愛とは単に自愛の拡大ではなくて行為的自己が自己自身を失い、無限大の円の中心が中心否定の面によって消され、中心なき円の自己限定として表現の世界という如きものが成立する時、其底に考えられる」(219)。
「真の他愛とは我々の自愛がそれに於てある所の根柢に還ることによって汝を見るということである」
「真の自己の存在は単に理性的なる所にあるのではなくて寧ろ感官的肉的なる所にあり、唯その肉的なるものが同時に己れ自身の底に霊を見る所に存する」(220)。それ故に、自己の存在そのものは矛盾である。
「掴むことの出来ない現在を掴むものは愛である、行為の底には自己自身を愛するものがなければならぬ、行為とは自己自身を愛するものの時に沿うた自己限定に外ならない」(221)

「良心の声に従うということは純なる情意の要求に従うこと、私欲を離れ、考えられた自己を棄てて無にして自己自身を限定するものとなることである。事実が事実自身を限定する立場に立つことである」(222)
知識の世界も理論的良心によって成り立ち、そこには永遠の今の自己限定という意味がある。
西田哲学において、愛や良心は主観的・心理的なものではない*2

無の自覚のノエシス的限定が愛ならば、そのノエマ的限定は時である。
「対象的に自己自身を見ることのできないものが之を対象的に見ようとする時、それは何処迄も到達することの出来ない無限の過程とならなければならない」(223-224)
自覚的限定は無限の過程でありながら、それを超えてそれを内に包むものである。
「愛は分離的統一として独立自由なるものの統一なるが故に、我々は他愛によって自己を否定するのでなく自己を見出し、自愛によって他を否定するのでなく他を見出す」(224)。それ故、絶対無の自覚のノエシス的限定には社会的限定の意義がある。
「我々が無の自覚に於て生きるということは絶対の愛に於て生きるものとして社会的となることであるが、かく社会的となるということは個人的には死に外ならず、而もこの死に於て始めて真の永遠の生が見られる所に真の社会的自己というものがある」(224-225)
社会とは永遠の生命が自己自身を限定するという意味を持ったものである」(225)。

中期の身体論は真に具体的なものとは言えない。身体の表現的性格と行為的性格の矛盾的自己同一的関係もその端緒が示されるだけで、論理的に具体化されているわけではない。

愛の喜びとは自己が自己を否定することによって得られるものであり、そこに欲求の充足による喜びはあってはならない。真の愛は人と人の間にのみ存在する。

「我々が一身を賭して真に決断する時、我々は真の瞬間に触れるのである。かかる瞬間的限定に於て我々は始めて自愛即他愛なる愛の自己限定として当為に直面する」「我々は根本的に非合理なるが故に理性を有し、悪なるが故に良心を深くする」(231)
「我々の欲求的自己は愛の一般者によって限定せらるべくあるのである、罪は悔い改められるべくある」(232)
アガペーは価値創造の原理であり、エロスを基礎付けるものである。決してその逆ではない。

※エロスとアガペーの関係について、柳田は自身の論文「エロスとアガペ」だけではなく木村素衛の「表現愛の構造」を参照するよう指示している。

「真の愛とは単に欲求的に他を自己に従えることでもなく又徒に犠牲的に自己が他に従うことでもなくて、絶対分離的に相対立する人格と人格とが夫々限定するものなきものの自己限定として深きノエシス的結合を有つということでなければならぬ」(238-239)
「人格と人格とは絶対の無を距てて相対するものであるが故に絶対無の死即生としてのみ相結合することができる」(239)

*1:田辺元が西田哲学のこうした側面を発出論として批判したわけだが、柳田はそれを評価していたのだろうか

*2:では何なのか?