1968年は中村雄二郎にとって節目の年になったと思われる。当時、中村はフランスに滞在しており所謂「五月危機」をその目で直接見ることになったというのもあるが、それだけではない。1968年は中村が制度論から言語論へと主題を移し、後年の「演劇的知」へと…
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