中村雄二郎

読書メモ:中村雄二郎「現代思想と西田幾多郎」(1985年)

1985年6月15日、中村雄二郎は学習院大学で開催された「西田幾多郎博士記念講演会」で講演を行った。その記録に加筆・修正を施したものが今回取り上げる「現代思想と西田幾多郎」である。中村の西田哲学論の概略を示す論文であり、「問題群としての西田幾多郎…

読書メモ:中村雄二郎『哲学入門 生き方の確実な基礎』(1967年)はじめに+序論Ⅰ

中村雄二郎は1967年に中公新書の1冊として『哲学入門 生き方の確実な基礎』を世に出した。この時期の中村は制度論と情念論の統合というテーマと格闘していたが、まだ解決の糸口を見つけられていなかった*1。『哲学入門』は中村にとってのいわば「悪戦苦闘の…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第3編第14章

前の記事へ← 最初の記事へ← 今回取り上げるのは中村雄二郎『現代情念論』の第3編第14章「小林秀雄における美意識と政治」である。この文章は中村が小林秀雄を論じた文章の中で、最もわかりやすいものだと思う。今回も、1994年に出た講談社学術文庫版を参照し…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第2編第10章

前の記事へ← →次の記事へ 最初の記事へ← 中村雄二郎の『悪の哲学ノート』(1993年)はその後半部をドストエフスキー論に割いているが、『現代情念論』にもドストエフスキーを扱った章がある。それこそが今回取り上げる第2編第10章「ロシア革命の反世界―ドス…

読書メモ:中村雄二郎『パスカルとその時代』(1965年)序章第1節

中村雄二郎の思索全体を貫くモチーフは2つある。1つ目は情念論と制度論の架橋、もう1つは「デカルトからパスカルへ、パスカルからデカルト」へという往還である。今回取り上げる『パスカルとその時代』(1965年)は後者を主題としたものである。中村の著作は…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第2編第7章

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鈴木亨氏による中村雄二郎評(メモ)

近年、東京大学を拠点に独自の哲学を構築しようとした人々を総称する「東京学派」という概念が提唱されている。「南原繁、廣松渉、大森荘蔵、坂部恵が同じ学派に属するとして、その4人にどのような共通点があるのか」とか「京都学派のように、東京学派を知的…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第2編第6章

前の記事へ← →次の記事へ 最初の記事へ← 中村雄二郎は「日本の哲学のあり方」について考察する文章を書いている。その時々の思想の流行を踏まえながら考察がなされているため、思想史的には興味深い文章に仕上がっているが、どれを読んでも批判点や結論にさ…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第1編第5章

前の記事へ← →次の記事へ 最初の記事へ← 今回は中村雄二郎の『現代情念論』第1編第5章「美と政治の感性的基礎―サルトル「ジュネ論」にふれて」を読んでいく。第5章は著作集第1巻にも収録されているが、図書館の返却期限が来てしまったため、やむなく1994年に…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第1編第4章

前の記事へ← →次の記事へ 最初の記事へ 今回は中村雄二郎の『現代情念論』第1編第4章「コミュニティと民主主義―深層心理学とマルクーゼを手掛かりに」を読んでいく。2021年の今からすれば、マルクーゼを参照しながら現代社会の問題を考察するというのは極め…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第1編第3章

前の記事へ← →次の記事へ 最初の記事へ 今回取り上げる第1編第3章は哲学は精神分析の知見をどのように取り込むべきなのかという話題が扱われている。例によって、今回も『中村雄二郎著作集』第1巻に収録されているバージョンを参照した。 ちなみに、河合隼雄…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第1編第2章

前の記事へ← →次の記事へ 中村雄二郎の『現代情念論』に関しては重要だと思われる章だけメモを取りながら読んでいくことにした。今回取り上げる第1編第2章はアランとサルトルの情念論を検討した箇所であり、参照したバージョンは『中村雄二郎著作集』第1巻に…

読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第1編第1章+著作集第1巻解説①(1993年)

→次の記事へ 中村雄二郎はパスカル研究者としてキャリアを出発させた後、すぐに独自の哲学の構築に乗り出している。そんな中村が最初に取り扱ったテーマは情念論であった。2021年の今であれば、哲学者が感情(情念)の問題を扱っても特に不可解なことではな…

読書メモ:中村雄二郎「言葉・表現・思想」(1968年)

1968年は中村雄二郎にとって節目の年になったと思われる。当時、中村はフランスに滞在しており所謂「五月危機」をその目で直接見ることになったというのもあるが、それだけではない。1968年は中村が制度論から言語論へと主題を移し、後年の「演劇的知」へと…

読書メモ:中村雄二郎『西田幾多郎』(1983年)第2章

←前の記事 河合隼雄の日本人論を手引きに西田の自己概念を読解するという試みには首をかしげざるを得ないし、そもそも、中村はユング=河合の意識モデルに期待しすぎている―例えば、中村はユング=河合の意識モデルが近代科学誕生の謎を解明するのに役立つと…

読書メモ:中村雄二郎「ナカエニスムと西田幾多郎」(1983年)

中村雄二郎は『西田幾多郎』(1983年)の第1章で中江兆民の「我日本古より今に至る迄哲学無し」という言葉を持ち出した。明治以前に日本哲学があったのかという問い自体はありふれているため、中村がその文脈で中江に言及したことには特に違和感を覚えない。…

読書メモ:中村雄二郎『西田幾多郎』(1983年)第1章

→次の記事 中村雄二郎は「問題群としての西田幾多郎」が好評を博したことを受けて、問題群という手法を使って西田哲学を読み解く作業を更に進めた。そのまとまった成果として最初に世に出たのが『西田幾多郎』(1983年)である。このメモを作るに当たって久…

読書メモ:中村雄二郎「西田幾多郎と小林秀雄」(1987年)

引き続き中村雄二郎の西田哲学論を読んでいくわけだが、今回取り上げる論文は「西田幾多郎と小林秀雄」である。同論文は元々フランス語で執筆されたものであり、1986年11月18日にソルボンヌで行われた講演で読み上げられた。その後、『新潮』の1987年2月号に…

読書メモ:中村雄二郎「制度論的視角と日本型思想」(1962年)

中村雄二郎の論文「制度論的視角と日本型思想」は『思想』(1962年7月号)に掲載され、その後『近代日本における制度と思想』(1967年)の第1章に収録された。今回は、『中村雄二郎著作集』第二期10巻に収録されているバージョンを読んでメモを作成した。つ…

読書メモ:中村雄二郎「問題群としての「西田幾多郎」」(1983年)

中村雄二郎の論文「問題群としての「西田幾多郎」」(1983年)は中村が初めて発表した西田哲学論だが、別の論文と内容が重複しているという理由で著作集に収録されていない*1。そのため、『西田哲学の脱構築』(1987年、岩波書店)に収録された版を読んでい…

読書メモ:中村雄二郎「西田哲学と日本の社会科学」(1995年)

中村雄二郎の論文「西田哲学と日本の社会科学」は『思想』の1995年11月号に掲載されている(5-22頁)*1。この論文は中村の著作集に収録されていないため、敢えてメモを作成して公開することにした。 1.三木清の<遺言>と『構想力の論理』(5-8頁) これま…