柳田謙十郎

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第2編第2章

前の記事へ← 最初の記事へ← 前回の記事の投稿から少し間が開いてしまった感があるわけだが、とりあえず再開してみたいと思う。今回取り上げる箇所は『無の自覚的限定』に収録されている論文のうち「表現的自己の自己限定」から「私と汝」までを扱った箇所で…

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第2編第1章

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読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第1編第3章②103-134頁

前の記事へ← →次の記事へ 最初の記事へ← 第1編第3章では『意識の問題』と『芸術と道徳』が読解されるわけだが、このメモ書きで取り上げるのは後者を扱った103-134頁にかけての部分である。 この頃の柳田の文章にも西田同様「~でなければならない」が頻出す…

読書メモ:柳田謙十郎「西田哲学の超克 ―わが思想は哲学の根柢を求めて遍歴する―」(1950年)

戦前、柳田謙十郎は「著者はその生命のつづく限り(西田の著作を)更に深く読み直し考え直すことによって一年一年とその理解を深めてゆくことを以て自己の生涯の課題として行き度い」とまで述べていたが*1、いつの頃からか西田哲学に飽き足らぬ物を感じるよ…

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第1編第3章①79-103頁

前の記事へ← →次の記事へ最初の記事へ 第1編第3章では『意識の問題』と『芸術と道徳』が読解されるわけだが、このメモ書きで取り上げるのは前者を扱った79-103頁にかけての部分である。ここまで読んできて分かったことだが、柳田独自の考えは専ら注に示され…

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第1編第2章

前の記事へ← →次の記事へ最初の記事へ← 柳田は西田哲学の根底に「実践的生命の躍動」があり、その哲学全体が実践哲学であると主張するわけだが(緒言を参照)、第1編第2章で扱われる『自覚に於ける直観と反省』は価値と存在、事実と意味がどのように結びつくの…

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第1編第1章② 26-39頁

前の記事← →次の記事最初の記事へ 第1編:自覚的意志の倫理 第1章:西田哲学の発祥(11-39) 後期の西田哲学から見た純粋経験論の要点 4:実在の主意主義的把握は後期の西田哲学の方法的中核をなす弁証法を必然の帰結としてもたらした(26-29) 『善の研究』にお…

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)第1編第1章① 11-26頁

前の記事← →次の記事 第1編:自覚的意志の倫理 第1章:西田哲学の発祥(11-39) 「数十年にわたる長き哲学的思索の過程を通じて、わが西田哲学の前身の歩みは一瞬として停止する時をもたなかった。一つの論文の出るごとに新たなる視野の展望が開かれ、一つの著…

読書メモ:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』(1939年)序+緒言

→次の記事 西田哲学研究の歴史を振り返る上で、柳田謙十郎ほど扱いに困る人物はいないと思われる。戦時中、自らも戦争を称揚したにも拘らず、戦後しばらくして突然「西田哲学の超克」を宣言し、京都学派の戦争責任を糾弾する側に回った。呆れた所行としかい…