田辺元

西田哲学を通して教育を見る際の留意点(個人史的メモ)

ファイルの整理をしていたところ、学生の頃に提出したと思しきレポートが発掘されたので、ここに公開してみたいと思う。今から見れば拙い文章・考察だが、私個人にとってはそれなりに意味を有している。というのも、この文章が京都学派について書いた初めて…

読書メモ:田辺元「人間学の立場」(1931年)②第4節~第5節

①へ← 「京都学派の哲学と人間学」というテーマを考える際に必読の論文であり、「種の論理」以前・以後の思索の変化を追う上でも重要な論文であるため、メモを取りながら読むことにした。今回参照したバージョンは『田邊元全集』の第4巻に収録されているもの…

読書メモ:田辺元「人間学の立場」(1931年)①第1節~第3節

→次の記事 「京都学派の哲学と人間学」というテーマを考える際に必読の論文であり、「種の論理」以前・以後の思索の変化を追う上でも重要な論文であるため、メモを取りながら読むことにした。今回参照したバージョンは『田邊元全集』の第4巻に収録されている…

読書メモ:下村寅太郎「田邊哲学の発展とその性格」(1952年)

下村寅太郎の論文「田邊哲学の発展とその性格」は『田邊哲学』(弘文堂、1952年)に収録され、『下村寅太郎著作集』の第12巻にも収められている。今回読解したのは後者のバージョンである。この論文には下村が師匠である田辺元の哲学のどのような点を高く評…

読書メモ:武藤一雄『神学と宗教哲学の間』(1961年)序+第1章序論

何故武藤一雄を取り上げるのか 武藤一雄(1913年-1995年)は日本のキルケゴール研究やティリッヒ研究に大きな足跡を残した人物として知られるが、彼にはもう一つの顔がある。それは京都学派の流れをくむ神学者・宗教哲学者という顔である。武藤の指導教官は…

田辺元と一遍(メモ)

世間で鎌倉新仏教と総称される教派の開祖のうち、親鸞と道元に関する哲学的考察は途切れなく出続けている。しかし、その他の開祖の思想が取り上げられることは稀であるように思う。このメモ書きで取り上げる一遍もその稀なグループに含まれる*1。この度、一…

「種の論理」VS「場所の論理」(メモ)

Twitterにメモしようと思ったが、長くなったのでここにメモしておく。 参考:田辺元と務台理作の論争に関する年表(筆者作成) 田辺元は論文「西田先生の教を仰ぐ」(1930年)を発表した後、師と仰いでいた西田幾多郎の哲学に対する対決姿勢を鮮明にしていく…

究極の教育原理としての実存協同(メモ)

田辺元は「死の哲学」の梗概として執筆した論文「メメント モリ」(1958)の中で『碧巌録』を参照しつつ、実存協同を以下のように説明している。 「師の愛を通じて自ら真実を悟得した弟子は、それに感謝する限り、当然に、自ら悟り得た真実を報謝して、更に…

森昭の教育哲学と京都学派の哲学①(メモ)

最近、筆者のTLに京都学派と教育学の関係についてのツイートが流れてくるようになった。この問題に関心を持つ人が少なからずいるようなので、2年前に作成したメモを公開する次第である。(タイトルには①とつけたが、②以降が出るかどうかはまだはっきりしない…

下村寅太郎は京都学派をどう理解していたか (メモ)

念のために前置きしておくが、このメモ書きは「下村寅太郎が言うように京都学派を理解すべきだ」などと主張するものではない。 哲学における京都学派の定義は大きく分けて2つある(藤田(2009)などを参照のこと)。1つ目は京都学派を西田幾多郎・田辺元を中心…

田辺元の「死の哲学」と高村光太郎の『智恵子抄』①(メモ)

田辺元の「死の哲学」と詩の関係を考察する場合、ヴァレリー論やマラルメ論が頻繁に取り上げられるわけだが、他の途もいくつか存在する。このメモ書きでは田辺の「死の哲学」と高村光太郎の『智恵子抄』の関係について書いてみようと思う。①では両者の関係に…

覚書「田辺元と南原繁」1

田辺元と南原繁という組み合わせは奇異に映るであろうから、この2人を取り上げる必要について説明したいと思う。その理由は2つある。①南原繁は「種の論理」の形成に大きな影響を与えていることと、②田辺元をはじめとする京都学派の哲学者(この一連の覚書で…

田辺元のジョン・デューイ評 (メモ)

京都学派の哲学者とジョン・デューイの関係と聞いたなら、西田幾多郎がデューイの『論理学』を読みたいと切望していたことや高山岩男が「呼応の原理」を構築する際にデューイの探求の論理を参照したことが真っ先に思い浮かぶだろうが、実は、田辺元も1回だけ…

田辺元の「死の哲学」における「切断」(メモ)

このメモは去年の7月半ばに作成したものである。 田辺元は独自の哲学的立場を打ち立てる際に、頻繁に数学を参照した。科学を論じる際に数学に言及することは勿論、社会や宗教・芸術の問題を論じるときにも数学が参照される。その中でも、特に頻繁に言及され…

覚書「田辺元と南原繁」 文献一覧

本来、出典を示す際には(著者の名字(参照したテクストの出版年:頁数))とすべきだが、この覚書では、田辺と南原のテクストを多数参照するため、それをやると(田辺(1964q:○○))などという表記になってしまい、どの文献を参照しているのか一目で分からなくな…

田辺元によるハイデガーの技術論批判

一昨年、とある授業でハイデガーの講演「技術への問い」を読み、それに関するレポートの提出を求められた。その際、田辺元の「死の哲学」の立場からハイデガーの技術論を批判しようと思い付き、この抜き書きを作成した。 抜き書きを作成した段階では気が付か…

田辺元と務台理作の論争に関する年表

田辺元と高橋里美の論争、田辺元と務台理作の論争、丸山真男の務台理作批判、南原繁の田辺批判は一連の出来事として捉えることが可能である(合田(2018:27-29))。それ故、本来であれば、上の4つの事象をまとめて年表にすべきなのだろうが、読みにくい代物に…

田辺元と高橋里美の論争をめぐる年表

田辺元と高橋里美の論争、田辺元と務台理作の論争、丸山真男の務台理作批判、南原繁の田辺批判は一連の出来事として捉えることが可能である(合田(2018:27-29))。それ故、本来であれば、上の4つの事象をまとめて年表にすべきなのだろうが、読みにくい代物に…

田辺元の「死の哲学」とフロイト(メモ)

昨年の5月に作成したメモ。 田辺元は「死の哲学」を構想する際に、フランクルの著作を参照したが、「精神分析的なこちたさ」が原因で通読できなかったようである(田辺(2012下:112))。その一方で、フロイトの精神分析学には、自分の哲学との共通点を見出し…

田辺元とカントの根元悪(メモ)

今年の1月にある先生から田辺元の哲学を考察する上で重要な問いを頂いたが(もしかすると、カントの哲学を考察する上でも重要かもしれない)、筆者にはこの問いに応答できる機会がもうないと思われるので、ここに公開することにした。 田辺元は戦前に発表し…

ハイデガーは田辺元の批判に応答しなかったのか?(メモ)

一昨年、ハイデガーに関する講義を聴講した際、最終レポート作成のために書いたメモを公開することにした(仮説を立てたまでは良かったが、論証で挫折してしまったため、結局、別のテーマでレポートを書くことになった。)なお、注記は新しく書き足したもの…

田辺元と森昭 二度目の懺悔道(メモ)

以下のメモ書きは一昨年の冬に作成したものです。公開に当たり、文章表現の一部に手を加えており、注記を付け加えています。 後期の田辺哲学の研究において、懺悔道とはどのような哲学的立場かという問題は頻繁に論じられている。その問題を解明するための新…