ハイデガーは田辺元の批判に応答しなかったのか?(メモ)

一昨年、ハイデガーに関する講義を聴講した際、最終レポート作成のために書いたメモを公開することにした(仮説を立てたまでは良かったが、論証で挫折してしまったため、結局、別のテーマでレポートを書くことになった。)なお、注記は新しく書き足したものである。
 田辺元ハイデガーを終生のライバルとし、その哲学に種々の批判を加えたことはよく知られている。しかし、田辺の論文は日本語で執筆されたため、日本語を解さなかったハイデガーが田辺の批判を直接読む機会はほとんどなかった(ハイデガーの下には日本からの留学生が多数訪れていたので、彼らを通して田辺の批判について耳にした可能性はある)。
 しかし、ハイデガーが田辺の批判を読むチャンスは少なくとも1回存在していた。1959年、田辺元ハイデガーの古希記念論文集への寄稿を求められ、「生の存在学か死の弁証法か」を書き上げた。その論文は西谷啓治と辻村公一の手によって独訳され、「Todesdialektik」の題で論文集に収録された。独訳の際、ブルトマンを批判した箇所や禅について言及した箇所が削られたという問題があり、田辺の批判の真意を理解できたのかという疑問はあるにせよ、ハイデガーが同論文を読んでいたとしても不思議はない。ところが、ハイデガーが田辺に応答した形跡は未だに見つかっていない(勿論、未公刊の資料の中に田辺への反応が記されている可能性は残っている)。
現状、ハイデガーが田辺の批判に対してどう思っていたのかを知る手掛かりは存在しないように見えるが、手掛かりになるかもしれないものはある。田辺が亡くなった後、辻村はハイデガーに雑誌『哲学研究』の田辺追悼号に文章を寄稿するよう要請した。当時、病床にいたハイデガーは文章を書ける状態になかったため、論文「有についてのカントのテーゼ」を翻訳して掲載するよう辻村に返答した。
ハイデガーが何故その論文の翻訳を依頼したのかは不明である。訳者である辻村は「思想家としての田辺先生を記念するためには自分自身の思惟作品を以てすべきであるといふこと、さういふことからこの論文の邦訳を寄せられたのであると思はれる」と推測しているが(ハイデッガー(1964:545))、それなら「有についてのカントのテーゼ」以外の論文を邦訳させても良かったはずである。敢えて同論文の邦訳を依頼してきたということは何か意図があったのではないか。もしかすると、「有についてのカントのテーゼ」には「生の存在学か死の弁証法か」における田辺のハイデガー批判に応答するような内容が盛り込まれているのではないか。このような仮説を立てることができる。

 注記:もしもこの仮説が正しいなら、田辺哲学とハイデガー哲学の双方に精通していたはずの辻村がそれに気が付かなかったのは何故かという問題が出てくる。「有についてのカントのテーゼ」に田辺への応答と思える要素が存在していたなら、辻村は論文の末尾に付された訳者解説でそれを指摘したはずである。しかし、そのような記述はない。


参考文献

マルチン・ハイデッガー(1964)「有についてのカントのテーゼ」,辻村公一訳,『哲学研究』第489号,523-545頁,京都哲学会
辻村公一(1964)「弁証法と時」,『哲学研究』第489号,645-660頁,京都哲学会