田辺元の「死の哲学」とフロイト(メモ)

昨年の5月に作成したメモ。
田辺元は「死の哲学」を構想する際に、フランクルの著作を参照したが、「精神分析的なこちたさ」が原因で通読できなかったようである(田辺(2012下:112))。その一方で、フロイト精神分析学には、自分の哲学との共通点を見出している。1955年、田辺は野上弥生子に宛てた手紙の中で以下のように述べている。
「とにかくフロイドが、単なる精神病学者から人間学者に進出致しましたこと、それがid(それ)の不可言的質量契機の種的媒介を通じ、全と個と相即する古代中世のオイデュポス的インフェリオリティ・コンプレクスから、本来それの裏に潜む主我的シューペリオリティ・コンプレクスを対自的に展開致すことにより、ハムレットファウスト的コンプレクスを近世特有のものとして発展せしめたことを感嘆したのでございます。その三一的弁証法、現在の自由決断に依る統一の故に、いつもその自己否定に裏付けられ、従って綜合そのものが統一と分裂とを含みて二重的となり、そのため三一は二重綜合として四元的(二重複合、ダブル・コンプレクス的)となることは、全く小生の考えて居ります絶対媒介の立場に一致し、これにより古典的静的コンプレクスが近代の歴史主義的コンプレクスとなるものと解せられますことを、悦ばずには居られませぬ。」(田辺(2012上:359))
 この文章が何を語っているのかを細かく見ていく必要があるわけだが、フロイト精神分析に対する理解が浅い状態では困難である。それ故、現時点で気が付いたことを箇条書きでメモするに留めたい。
・この書簡だけでは、田辺がフロイトの何を読んだのかはっきりしないが、群馬大学の田辺文庫には『精神分析入門』と『続 精神分析入門』の邦訳書があり、また、『続 精神分析入門』と『自我とエス』の英訳書がある。それを踏まえると、「単なる精神病学者」の時期の著作が『精神分析入門』で、「人間学者」に移行した時期の著作が『自我とエス』及び『続 精神分析入門』に当たると思われる。
・古代中世のエディプス・コンプレックス→主我的コンプレックス→近世特有のハムレット的コンプレックスという理解は、田辺が「存在論の第三段階」で示した構図、つまり、古代中世の自然存在論→近世の人格存在論→社会存在論という構図に対応するものと思われる。
フロイトの理論に弁証法的構造を見出した田辺の理解は妥当か?
・田辺は「生の存在学か死の弁証法」の冒頭部でエディプス王の物語を参照しているが、フロイトの影響だったのか?

引用文献

田辺元野上弥生子(2012(2002))『田辺元野上弥生子往復書簡』(上下),竹田篤司・宇田健共編,岩波書店
田辺元唐木順三(2004)『田辺元唐木順三往復書簡』,筑摩書房