田辺元と高橋里美の論争をめぐる年表

田辺元と高橋里美の論争、田辺元務台理作の論争、丸山真男務台理作批判、南原繁の田辺批判は一連の出来事として捉えることが可能である(合田(2018:27-29))。それ故、本来であれば、上の4つの事象をまとめて年表にすべきなのだろうが、読みにくい代物になってしまったため、やむを得ず田辺と高橋の論争に関係するものだけを抽出することにした。
(田辺と務台の論争に関する年表はリンク先にある。)

年表

1934年11月・12月・1935年2月
田辺元が「社会存在の論理」を発表
1936年1月
務台理作が「表現的世界の論理」を発表。務台は同論文で田辺の種の論理を批判した ①
1936年10月・11月・12月
田辺元が「種の論理と世界図式」を発表。田辺は同論文で高橋里美の全体の立場を批判した。
1936年11月
田辺元が「存在論の第三段階」を発表
1936年10月・11月・12月
田辺元が「論理の社会存在論的構造」を発表
1936年12月・1937年2月・3月
高橋里美が「種の論理について」を発表。この論文では①が参照されている(高橋(1937:229))。発表時期の関係で、同論文の第1節から第5節は「論理の社会存在論的構造」の10月発表分しか参照できていないが、第6節以降は全てを参照している。
1937年10月
田辺元が「種の論理に対する批評に答ふ」を発表し、高橋・務台の種の論理批判に応答すると共に、種の論理の立場から高橋の全体の立場と務台の社会存在論を批判した。
1937年10月・11月・12月
田辺元が「種の論理の意味を明にす」を発表。高橋の名前こそ出てこないものの、高橋からの批判を意識したと思しき記述が複数存在する。
 高橋は上の2つの論文における田辺の批判に直接応答することはなかった。しかし、高橋の『歴史と弁証法』(1939年)や『包弁証法』(1942年)には田辺を意識したと思われる議論が散見される。
 田辺が亡くなった後、高橋は日本学士院で田辺の追悼講演を行ったが、その依頼を引き受ける際、下村寅太郎に「田辺君の最近の著作には目を通していない」という趣旨のことを告げたという。
 また、上の2つの論文以降、田辺も高橋へのまとまった批判を行わなくなったが、『哲学入門』(1949年)や「北軽井沢特別講義」(1953年)の中で、高橋の包越概念を批判している(田辺(1964a:128-130),田辺(1964b:297-299))。

注記:西谷啓治が「西田哲学をめぐる論点 -山内、高橋、田邊諸博士による批判の考察-」という論文を発表しており、また、高橋里美の包弁証法が山内得立の論文「超弁証法」に触発されたものであることを思うに(高橋(1973b:316))、田辺と高橋の論争を検討する際には、山内にも言及する必要が出てくるかもしれない。筆者は山内の著作に目を通していないので、山内にも言及すべきだと断言できないが、念のために付け加えておく次第である。

文献

合田正人(2018)「「種の論理」論争をめぐって ―高橋里美、務台理作再考―」,『日本哲学史研究』第14号,25-44頁
高橋里美(1973a(1937))「種の論理について」,『高橋里美全集』第4巻,221-267頁
高橋里美(1973b(1951))「私の哲学の歩み」,『高橋里美全集』第1巻,304-323頁
田辺元(1964a(1949))『哲学入門 哲学の根本問題』,『田邊元全集』第11巻,3-132頁,筑摩書房
田辺元(1964b(1953))「北軽井沢特別講義」,『田邊元全集』第15巻,287-348頁,筑摩書房