柳田國男の西田幾多郎評 (メモ)

1949年5月15日、民俗学者柳田國男は思想史家の家永三郎と対談した際に以下のようなことを述べたという(家永(1998:471))。

家永 先生は現代の哲学者の著述をお読みになるか。
柳田 読むが、大てい途中で投げてしまふ。西田幾多郎氏の論文などついて行けない。田辺君の哲学もむつかしいが、西田氏の方は一層むつかしい。
家永 私は全国を歴廻つてあらゆる資料を集められる先生の学風と一室にとぢこもつて思索にのみこれふけつた西田博士の学風とは、学問の方法の両極を代表するきはめて対蹠的なものと思ふ。
柳田 西田氏の哲学は、他の哲学者に比べれば、たしかに日本人の思想となつてゐるが、それでもあゝいふ風に実証を離れた、理論だけの学問にはあまり同感できない。
注記:家永は上の文章に続いて「京都学派の哲学と柳田民俗学は学問の方法としては正反対だが、今後の日本思想は2つを統合する方向に進んでいかなければならない」という主旨のことを述べているが(家永(1998:471))、実は、京都学派に属する哲学者の中に、民俗学の成果を積極的に取り入れた人物がいる。それは務台理作である。
 下に引用する家永の務台評を読むに、務台は家永が願ったような形で京都学派の哲学と民俗学を統合したとは言えないようである。ただ、日本における民俗学と哲学(特に京都学派)の関係を考える手掛かりにはなると思われるので、ここに加筆しておく次第である。
参考:家永の務台評
「務台は民俗学の教養を有し、その点で西田にも田辺にも欠けていた「伝承的文化」を種的社会の質料契機として導入するという創見を示した」((家永(1998:143))
 「務台の社会存在論は、西田哲学ほどの広さと深さとに欠け、田辺哲学ほどの鋭さと明快さもなく、折衷的との印象を免れないが、反面西田や田辺の陥った逸脱を免れ、きわめて健全という特色をもっている」(家永(1998:145))

文献

家永三郎(1998(1974))『田辺元の思想史的研究 -戦争と哲学者-』,『家永三郎集』第7巻,3-476頁,岩波書店
務台理作(2001(1939))「伝承的文化」,『務台理作著作集』第3巻,101-123頁