映画『アド・アストラ』感想 - 「最後のフロンティア」ではない宇宙

ジェームズ・グレイ監督の新作映画『アド・アストラ』(主演:ブラッド・ピット)を見てきたので、鑑賞中に思い浮かんだことをここにメモしておきたい。
※映画の歴史に関する記述もあるが、筆者は映画史に精通しているわけではない。間違いがないように注意は払ったが、万一、間違いがあった場合は御容赦のほどを請いたい。また、ネタバレにも注意されたし。

あらすじ

ロイ・マクブライドは父親のクリフォードの背中を負うようにして宇宙飛行士の道を歩んでいた。クリフォードは海王星で地球外生命体を探査するという困難なミッションでリーダーを務めたが、その途中で命を落としており、伝説的な存在となっていた。
 そんなある日、ロイは軍の上層部から極秘ミッションを任されることになった。地球で起きている謎の放電現象の原因は海王星で起きている異常現象であり、それにクリフォードが関与している可能性があるのだという。そこで、軍上層部はロイにクリフォード宛てのメッセージを送らせ、クリフォードからの反応を得ようとしたのである。唐突に父親が生存している可能性を突き付けられたロイは困惑したが、軍の一員である以上、任務を引き受けざるを得なかった。

「最後のフロンティア」ではない宇宙

私が子供の頃、テレビで『宇宙大作戦』(初代『スタートレック』のことである)という番組が放送されていた。そのオープニングでは「宇宙、それは人類に残された最後のフロンティア」という文言が読み上げられていた。同作ではカーク船長率いる宇宙船エンタープライズ号とその乗組員たちが様々な困難に遭遇しつつも、知恵と勇気を振り絞ってそれを克服していく姿が描かれていた。そこで描かれた宇宙は人類にとって未知の世界であり、危険と隣り合わせではあったが、夢やロマン、冒険が確かにあったのである。
1970年代以降、宇宙を舞台士に他SF映画が多数製作されたわけだが、そこで描かれる宇宙は夢やロマンに満ちたものであった。『エイリアン』のような作品もあったが、そこで描かれる恐怖は未知の恐怖であった。ある時期まで、宇宙を舞台にしたSF映画は未知の恐怖を描いた作品か、未知のロマンを描いた作品に大別されるものであった。
 ところが、2013年、上の2つの区分の何れにも当てはまらない作品が現れた。アルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』である。同作では主人公が宇宙空間で立て続けにトラブルに見舞われるが、そのトラブルの原因は未知の何かなどではなく、至って現実的なもの(火災やスペースデブリの衝突)であった。同作には未知の恐怖も未知のロマンもなかった。つまり、既知の世界と地続きの物語が展開されていたと言える。
『アド・アストラ』はこの第3の系譜に属する作品であろう。『ゼロ・グラビティ』同様、主人公のロイが劇中で遭遇した一連の出来事は未知の何かに由来するものではない。また、同作における宇宙はただひたすらに空虚で広大な空間であり、そこには「最後のフロンティア」としての宇宙は影も形もない。

 ※『アポロ13』(1995年)を第3の系譜に属する最初の作品とみなすべきかもしれないが、同作は実際に起きた出来事を題材にした作品であるため、製作陣の意図がどうであろうと、そこに未知の何かによる恐怖が描かれる可能性はない。意図的に第3の道を選んだという意味で、『ゼロ・グラビティ』を第3の系譜に属する最初の作品とみなすことにする。

父と子の物語

 父親の背中を追うようにして宇宙飛行士になったとはいえ、ロイは物語開始時点で極めて優秀な宇宙飛行士であった。それにも拘わらず、ロイと出会った人たちは彼を「偉大なクリフォード博士の息子」とまず認識した。ロイに父親の影響下から脱しようという積極的な意志はなかったであろうし、仮にあったとしても、周囲の人間があれでは抜け出すのはほぼ不可能であろう。
 ところで、『アド・アストラ』におけるクリフォードの歩みとロイの歩みは似ている。ここでもまた、ロイは意図せずして父親の影を追うことになる。
クリフォードの歩み
 地球外生命体を探索するミッションを任される→いつの間にか地球外生命体探しに取り憑かれ、命令を無視する→それに抵抗した乗組員を皆殺しにしてしまう→海王星
ロイの歩み
 父親を探すミッションへの参加を求められる→いつの間にか父親探しに取り憑かれ、命令を無視する→それに抵抗した乗組員を皆殺しにしてしまう→海王星
ロイとクリフォードが違う道を歩むようになるのは海王星を離れるときであった。クリフォードは地球外生命体を探すことに生涯を捧げており、今更地球外生命体が存在しないというデータを受け入れるわけにはいかなかった。彼はそんな現実に直面するより宇宙で死ぬことを選んだのである。ロイはそれを止めようとしたが、クリフォードは息子を振り切って宇宙空間へと消えていった。その結果、ロイは1人で地球に帰ることになった。クリフォードの死を以て、ロイは人生の指針を失ったのである。それでもなお、クリフォードの影を追うということは可能だったはずだが、ロイは敢えて別の道を歩むことにした(おそらく、半年ほど宇宙空間で孤独だったことが彼に影響を及ぼしたのであろう)。地球に帰還した後、ロイは仕事に打ち込むあまり疎遠になっていた妻との復縁を図るのだった。

人類しかいない宇宙

 『アド・アストラ』が画期的な作品と言える理由の一つに、地球外生命体が存在しない宇宙を描いたという点が挙げられるのではないか。『ゼロ・グラビティ』のように宇宙を舞台にしながら地球外生命体が登場しない作品は少なからず存在するが、「地球外生命体が存在しない」と明示された宇宙が描かれたのは『アド・アストラ』が初めてだと思う。
 地球外生命体が存在しない宇宙を描いたという意味で、『アド・アストラ』は『コンタクト』(1997年)と対照的な作品だと言える。後者のラストシーンで主人公が「この広い宇宙は地球人だけではもったいない」的なことを言う。それに対し、前者のラストシーンは主人公と妻が復縁しそうなところで終わる。製作陣が『コンタクト』を意識したとは思わないが、「この広い宇宙に地球人しかいなくても良いじゃないか。それでも人類は自分たちだけで幸せに生きることができるのだから」というメッセージを感じる。

総評

 『2001年宇宙の旅』や『惑星ソラリス』を思わせる作品と聞いていたので、難解で観念的な作品なのかと思ったが、それほどではなかった。両作品とは異なり、1回見ただけでストーリーや登場人物の行動が理解できる作品であった。ブラッド・ピットの演技は申し分なかったし(『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』での演技の方が輝いていたが)、映像も美しかった。ロマン溢れる宇宙を描かないSFを許容できるなら、1度は劇場で鑑賞すべき作品だと言える。