下村寅太郎の「数学への歴史」に対する疑問(メモ)

 いつものように、Twitterにメモしようと思ったのだが、予想外に長くなりそうなのでここにメモしておくことにする。

下村寅太郎は数理哲学者として研究者のキャリアをスタートさせた。その際、師匠の田辺と同様、数学に出てくる諸概念を哲学的に基礎付けていくという手法を採用した。ところが、ヒルベルトの数学論を研究するうちに、「数学は日進月歩で発展していくため、次々と新しい概念が生み出されていく。それを一々哲学的に基礎付けていくのは不可能である」という考えに至り、田辺と同じ手法を使わないようになった。その代わりに採用したのが「数学への歴史」、つまり近代数学がどのように形成されてきたのか、また、近代数学を生み出した近代ヨーロッパの精神は如何なるものかを問うという手法であった。
後年、下村は田辺の数理哲学を評して「大空を飛ぶ飛行機を走って追いかけるようなもの」と言った。田辺が複素数に哲学的基礎付けを与えるのに四半世紀以上を費やしたことを思うに、この比喩は妥当であろう。田辺が悪戦苦闘している四半世紀のうちに、近代数学は遥か先まで進んでいたはずである。下村が田辺と学問的に袂を分かったのはやむを得なかったことであろう。
 下村は「数学への歴史」を問うことで、つまり、「近代数学」成立以降の数学を考察対象から外すことで、数理哲学者は急速に発展していく数学にどう対処するかという問題を回避することができた。しかし、問題の回避は問題の解決を意味するわけではない。下村は『無限論の形成と構造』(1944年)で近代数学が成立するまでを無限概念に着目して記述したわけだが、その後、数学基礎論の問題、つまり、「近代数学」成立以降の数学を考察する必要を自覚したようである。ここに至り、下村は急速に発展していく数学を哲学的に考察する必要に迫られたのである。回避したはずの問題に再度直面する事態となった。
 結局、下村は数学基礎論についてほとんど考察しないままこの世を去った。下村はその理由について自身の力量不足と時間的余裕の不足を挙げているが(下村(1988:333))、それだけが理由なのだろうか。下村が採用した精神史という手法は、ある事象の生成過程を考察するのに力を発揮するが、既に生成された事象そのものを哲学的に考察する手法たり得るのだろうか(勿論、考察の手掛かりにはなるだろうが)。下村の挫折は精神史的手法の限界を指し示しているのではないかという疑念を禁じ得ない。

文献

下村寅太郎(1988(1944))『無限論の形成と構造』,『下村寅太郎著作集』第1巻,331-481頁,みすず書房