田辺元のジョン・デューイ評 (メモ)

 京都学派の哲学者とジョン・デューイの関係と聞いたなら、西田幾多郎がデューイの『論理学』を読みたいと切望していたことや高山岩男が「呼応の原理」を構築する際にデューイの探求の論理を参照したことが真っ先に思い浮かぶだろうが、実は、田辺元も1回だけデューイの哲学に言及している。
 「哲学には哲学固有の方法がある。特に弁証法は、同一性論理の矛盾原理の自己突破に成立するのであって、常識と科学との平直なる思考を逆転する所がある。これ逆説弁証法などといわれる所以である。(中略)。特殊科学の如何に優秀なる学者といえども、一度この思想の難関を突破するものでない限りは、哲学の中心に触れることは出来ない。それに反し、例えば現代米国の代表的哲学者たるデューイの如き、一件弁証法と似もつかぬ実験化学的方法論論理を組織したのであるが、しかも弁証法的外装をすっかり洗い落として居るに拘わらず、その出発に際して受けたヘーゲル哲学の洗礼の痕を紛れもなく持続けることにより、いわゆる実験論理学に弁証法の核心を包蔵して、其上に具体的なる哲学思想を展開したことは甚だ注意すべき事実である。」(田辺(1964:328))
筆者はデューイの著作をほとんど読んだことがないので、田辺のデューイ評が正確なのかは判断できない。 ただ、田辺がデューイを高く評価していたことは間違いない。
群馬大学が所蔵している田辺の蔵書の中にはデューイの著作があり、『Essays in Experimental Logic』や『Experience and nature』には書き入れがなされているようである(54頁)。また、田辺の弟子、森昭が『経験主義の教育原理』(1952)を公刊した際、森がデューイのorganizeを「身につける」と訳したことについて何かコメントしたようである(森(1964:4))。訳語の選択について評価を下すには、最低でも当該著作を精読しなければならない。これらは田辺がデューイの著作を精読していた証拠であろう(主要著作全てには目を通していなかったかもしれないが)。

文献

田辺元(1964(1947))『政治哲学の急務』,『田邊元全集』第8巻,323-395頁,筑摩書房
森昭(1964)「田邊先生の書簡から」,『田邊元全集』第8巻月報,3-5頁,筑摩書房