田辺元の「死の哲学」と高村光太郎の『智恵子抄』①(メモ)

 田辺元の「死の哲学」と詩の関係を考察する場合、ヴァレリー論やマラルメ論が頻繁に取り上げられるわけだが、他の途もいくつか存在する。このメモ書きでは田辺の「死の哲学」と高村光太郎の『智恵子抄』の関係について書いてみようと思う。①では両者の関係に注目するべき理由について書いてみたい。

 1956年4月、田辺元野上弥生子に宛てた手紙の中で「小生は先頃物故の高村光太郎氏を久しく尊敬いたすのですが、逝去の機会に遺作を読み、その智恵子抄(正続)に、全く魅せられて居ります。めずらしい深さの詩人と存じます」、「この夫妻の愛の美しさ高さは、まことに稀有なるものと信じます。小生の感傷性にのみ由来するとは存ざれませぬ」と記している(前者は田辺(2012下:50)、後者は田辺(2012下:57))。
 これだけなら「田辺が高村の詩を高く評価していた」というエピソードに留まるだろうが、実は、高村の『智恵子抄』は田辺の実存協同を理解する上で重要な鍵になっているのである。田辺は『マラルメ覚書』(1961年)で以下のように述べている。
「直接なる存在が自己否定において自己を自覚することにより、かえって一層高次の存在性を獲得恢復するのである。これを宗教的には死復活という。死は運命の必然に属しこれを避ける途は無い。しかし、他のために自らを棄てる自己犠牲の愛の実践においては、自は他の自覚の内部に復活せられて、普遍的なる協同の永生に入る(高村光太郎詩集『智恵子抄』、『智恵子抄その後』参照)。いわゆる「聖徒の交わり」これである。」(田辺(2010:92)、強調は筆者)
 田辺の実存協同は生者と死者の関係を考察する際に度々参照されてきたが、難点が一つある。それは田辺が実存協同を具体例に即して記述していないことである。「死の哲学」の時期の実存協同は田辺と亡くなった妻(ちよ)の関係に触発されたものだが、「死の哲学」の諸論考にそれについての説明は一切ない。田辺は「自覚」「絶対無即愛」「死復活」のような独自の術語を駆使して実存協同について説明しているが、抽象的な議論に留まっている。実存協同の具体的なイメージが得られない限り、それを批判・評価することもままならないのではないか。それ故、実存協同の具体化は急務であると言える。
 ただ、田辺は実存協同を自ら具体化しなかったが、そのための道筋は指し示している。先の引用文を見れば分かるように、田辺は高村の『智恵子抄』と『智恵子抄その後』を実存協同の例として挙げている。両書は高村が妻である智恵子への思いを綴った詩だが、高村は彼女の死後も思いを詩として表現し続けた。生者(高村)と死者(智恵子)の愛に基づく交流が具体的に描かれた作品である。田辺が実存協同の具体例を示したのはこれがほぼ唯一であると言える。田辺は『智恵子抄』のどこに実存協同が現れているのか明示していないという問題はあるにせよ、これを使わない手はないだろう。
 ※「田辺は「メメント モリ」で『碧巌録』に収録されている公案「道吾一家弔慰」を実存協同の例として挙げている。『智恵子抄』が唯一の具体例ではない」という反論が予測されるが、あの公案を読んで実存協同の具体的イメージを得るのは困難なように思える。禅の修行に打ち込んだ者ならできるかもしれないが、筆者のように禅仏教と縁遠い人間には不可能であろう。

文献

杉村靖彦(2012)「死者と象徴 ―晩年の田辺哲学から―」,『思想』1052号,36-56頁,2012年
高村光太郎(1967(1941))『智恵子抄』,新潮社
田辺元野上弥生子(2012(2002))『田辺元野上弥生子往復書簡』(上下), 竹田篤司・宇田健共編, 岩波書店
田辺元(2010(1961))『マラルメ覚書』, 藤田正勝編『死の哲学 田辺元哲学選Ⅳ』,65-218頁, 岩波書店