辻村公一による下村寅太郎追悼講演(メモ)

 1995年4月12日、辻村公一(田辺元高山岩男の弟子。ハイデガードイツ観念論の研究で知られる)は日本学士院の総会で同年1月22日に亡くなった下村寅太郎の追悼講演を行った。同講演は下村について考える上で興味深いものを提示しているので、それについてメモしておく。

 通常、研究者が亡くなった際に発表される追悼文には3つの事柄が記載されるように思われる。人生の歩み、人柄、学問上の業績の3つである。辻村の追悼講演には下村の人生の歩みと下村の人柄についての記述はあるが、下村が学問上何を成し遂げたかについての記述が乏しいのである。ただ、下村が西田幾多郎全集の編集に尽力し、科学基礎論学会の発足・運営に深く関わったことを述べただけである。科学史研究やルネサンス研究、あるいはライプニッツ研究に於ける下村の業績がどのようなものだったかについては一切触れられなかった。このことについて辻村は以下のように弁明している。
 「下村先生の学問的業績に言及致すべきであり、その準備も致しておりましたが、このことは下村先生の「精神史としての哲学」について一冊の著作を書くことを私に要求してやまず、ここでは到底申し上げられません。」(辻村(1996:90))
・辻村の専門が下村のそれと重なっていなかったこと
・辻村が下村と交流するようになったのは辻村が学士院会員に選ばれて以降(1992年)のことであったこと(著作集13巻の月報を参照のこと)
 以上の2点を思うに、辻村は下村の研究をリアルタイムで追っていたわけではない。そんな辻村が下村逝去から追悼講演までの僅か3ヶ月弱の間に、下村の代表作の学問的意義をまとめ上げるのは不可能だっただろう。
 ※1995年当時の日本に下村の仕事全体の構造を把握していた人がいたのかという問題があるのだが、それについては後日取り扱うことにする。当時、下村の直弟子の多くが存命中だったわけだが、彼/彼女らの中に下村の精神史研究の全貌を把握していた者はどれくらいいたのだろうか。
「典型」概念について 
 辻村は下村の精神史を理解・考察する上で鍵になるであろうことを講演の中で述べているので、ここに記録しておきたい。
 「下村先生の精神史がライプニッツの「モナドジー」と西田幾多郎先生の後期思想たる「歴史的世界の自己形成(常に自己破滅の可能性を含む)」の融合に由来し、その融合が「典型」―すなわち飽くまで個性的であって然も普遍性を実現している「典型」―を見出し、そこからルネッサンスとかバロックという歴史的時代を限定し、然もその論述が常に「現場」の雰囲気を地盤として、そこから「テクスト」は殆どすべての文献を渉猟し尽くした上で書かれた作品であり、100年やそこらの研究によっては到底凌駕され得ない」(辻村(1996:90))
 下村はある人物を時代の「典型」とみなし、その人物の生涯・思想を通して時代の精神を剔出するという手法を採用している。これに対しては「ある時代には数百万の人々が生きていたにも拘わらず、何故一人の人間の生を考察するだけで時代精神が抽出できると考えることができるのか」という疑問が出てくる(筆者自身、この疑問に対する満足のいく回答は得られていない)。辻村の指摘通りなら、下村の「典型」概念はモナドジーと西田哲学に由来するものであり、両哲学にまで遡ることで、「典型」の謎が解明できるかもしれない。

文献

辻村公一(1996)「故下村寅太郎会員追悼の辞」,『日本学士院紀要』第五十巻第二号,87-91頁