映画『ルディ・レイ・ムーア』感想 - 帰ってきたエディ・マーフィ

 Netflixで配信されている映画『ルディ・レイ・ムーア』を鑑賞したので、感想をここにまとめておきたい。

あらすじ

 1970年代のロサンゼルス。中年になってもなお、ルディ・レイ・ムーアはレコードショップで働きながらエンターテイナーになる夢を追いかけていたが、その夢が叶う気配は一向に感じられずにいた。そんなある日、ムーアは偶々耳にしたホームレスのギャグにピンときて、それを基にドールマイトというキャラクターを創造した。ドールマイトの人気は徐々に高まっていき、ムーアたちが自作したアルバムの売れ行きも好調であった。ほどなくして、ムーアはレコード会社と契約することになり、その人気は全国区のものになりつつあった。

 しばらくして、ムーアはコメディ映画に黒人が出演していないことに気が付いた。そこで、ムーアはドールマイトを主役にしたコメディ映画を製作することにしたが、その道は決して平坦なものではなかった。

エディ・マーフィの復活

 私はエディ・マーフィのファンである。『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)や『ドクター・ドリトル』(1998年)、『ホーンテッド・マンション』(2003年)は何回も鑑賞し、その度にお腹を抱えて笑ったものだった。マーフィの魅力は独特なマシンガントークと軽妙な演技にあったわけだが、『ドリームガールズ』で突如シリアスな演技に挑戦した。変貌があまりに急だったので困惑してしまったが、今思えば、同作におけるマーフィの演技はなかなかのものだったと思う。
 ところが、同作を最後にマーフィから精彩が失われていった。『ベントハウス』(2011年)のように好評を博した作品もあるにはあったが、以前のような軽妙さとトークの歯切れの良さが失われていたように思う。何故そうなったのかは私には分からない*1。その後、マーフィは『Mr.Church』(2015年)でヒューマン・ドラマに進出したが、作品の評価が伸び悩むという憂き目に遭った(マーフィの演技自体は好評だったが)。
「もうあの頃のマーフィを見ることはないのか」と諦めかけていた矢先、『ルディ・レイ・ムーア』が2019年9月にプレミア上映され、批評家と観客の双方から絶賛されているというニュースが飛び込んできた。まさかの復活である。
 

変人への温かい眼差し

 本作を傑作たらしめているものは「変人への温かい眼差し」であろう。世間において、変人は侮蔑や嘲笑の対象になることが多いが、本作における変人の描写に侮蔑や嘲笑の類いは一切ない。強烈な個性を持った者たちがそのまま肯定されている。
 ルディ・レイ・ムーアは映画製作に対する並々ならぬ情熱を有していたことは間違いないが、技術面では素人同然であった。ムーアたちが製作した作品は散々な出来になったのも当然のことである。『ドールマイト』の撮影シーンを見れば分かるように、アクションシーンはもったりとしたもので、棒読み・棒立ち・荒唐無稽な展開のオンパレードである。しかし、本作はムーアたちを笑い飛ばすようなことはしない。ムーアたちを映画製作に情熱を注いだ先達として描き出している。 


 本作と同じ系譜に属する作品として『エド・ウッド』(1994年)と『ディザスター・アーティスト』(2017年)を挙げることができる。ルディ・レイ・ムーアとは違い、エド・ウッドやトミー・ウィソーは関わった人たちを必ずしも幸福にしたとは言えない人間で(後者に至っては関わった人を酷い目に遭わせたと言えるかもしれない)、彼らの作品は観客から総スカンを食らった(『ドールマイト』は批評家から酷評されたが、一般の観客は大いに楽しんだようである)。それにも拘わらず、両作品は彼らを否定的に描いておらず、彼らに居場所を与えるような作品になっている。

 

出演者の演技に関する感想

 本作がエディ・マーフィの代表作になるのは間違いないだろうし、彼がアカデミー賞の主演男優賞を受賞しても不思議はない。マーフィでなければ、ルディ・レイ・ムーアというカルト的な人気を博した男に命を吹き込むことはできなかったと思う。
 批評家の間では、ダーヴィル・マーティンを演じたウェズリー・スナイプスの演技が称賛されているという。確かに、彼の演技は見事だったが、彼以上に輝いていたのはレディ・リードを演じたダヴァイン・ジョイ・ランドルフであろう。レディ・リードはムーアの良き理解者でシングルマザーという難役だったが、ランドルフはそれを見事に演じきった。表情の一つ一つが秀逸なものだった。
 
 
 

 

 

 

*1:ドリームガールズ』でアカデミー助演男優賞の受賞を有力視されていたにも拘わらず、結局受賞を逃したことがショックだったのかもしれない。