映画『アイリッシュマン』感想 - Who is that guy?

 Netflixで配信されている映画『アイリッシュマン』を鑑賞したので、その感想をここに書き留めておきたいと思う。マフィア映画としては異色の作品なので、感想を上手く言語化できるか自信はないのだが、最大限努力してみたいと思う。本作の上映時間は209分と長いが、隙間時間に鑑賞している限りでは、特に長さを気にすることはなかった。一気に見た場合もそう感じられるのかは分からない。

あらすじ

 第二次世界大戦後、フランク・シーランはトラックの運転手として生計を立てていたが、肉の横流しにも手を染めていた。それが原因でフランクは裁判にかけられてしまったが、マフィアの大物、ラッセル・ブファリーノが仲間を売らなかったフランクに感じ入り、救いの手を差し伸べてくれた。それ以来、フランクはラッセルの忠実な部下として活動していた。
 そんなある日、フランクはラッセルの紹介で全米トラック運転手組合の会長、ジミー・ホッファのボディガードを務めることになった。ジミーは労働運動の世界で英雄視されていたが、陰では組合員の年金を使ってマフィアの事業に投資していた。そんなジミーに目を付けたのが、当時の司法長官、ロバート・ケネディであった。ロバートはジミーを投獄するためにあらゆる手段を駆使した。ジミーもそれに応戦したが、ついには検挙され、刑務所で服役することとなった。
 しばらくして、ジミーは出所することになり、再度組合のトップになるべく工作を開始した。ところが、それはマフィアの既得権益を脅かすものであった。ラッセルたちはジミーに再三警告したが、ジミーはそれに従おうとしなかった。最終的に、ラッセルはジミーとの関係を修復するのは不可能と判断し、フランクにジミーを暗殺するよう命じた。
 その後、フランクとラッセルは別件で告発され、そのまま服役することになった。仲間たちが次々とこの世を去る中、ただ1人生き残ったフランクは自らの過去の清算を試みるが、思うようにはいかなかった。

異色のマフィア映画

 マフィア映画では登場人物が次々と殺されていく。しかし、いくらマフィア映画と言えども、モブは兎も角、主要人物の死亡シーンはドラマチックに描かれるのが常である。ところが、『アイリッシュマン』では大物が殺されるシーンも実に呆気なく描写されている。ジミー・ホッファの殺害シーンですら、ドラマチックな音楽やスローモーションが使用されることはない。ただ撃たれて死ぬ姿が描かれるばかりである。また、殺す側の苦悩や葛藤が描かれることもない。フランクは組織の命令に従って殺しを遂行しているだけで、そこに自らの意志はほとんどないように思えてくる。殺し屋を美化するような描写もない。
 さらに言えば、最晩年のフランクの描写もあっさりしている。例えば『ゴッドファーザー PARTⅢ』(1990年)ではマイケル・コルレオーネの苦悩や贖罪意識がくどいと思えるほど徹底的に描かれていたわけだが、フランクの苦悩も実にあっさりと描写される。フランクは罪の意識を感じていないのだから、こうなるのも仕方ないのかもしれないが、娘たち(特にペギー)と疎遠になっていくシーンや彼女たちとの和解を試みるも失敗するシーンも淡々と描かれていく。フランクが無念のあまり号泣・絶叫するようなシーンなどはなく、娘たちから拒絶され、それに対して最早為す術がない様子が描かれるだけである。
 (劇中において、フランクが家族に手を挙げた描写はなかった。むしろ良き父親として振る舞っていたので、フランクが娘たちから拒絶される理由も今ひとつピンとこないが、終盤のシーンを見るに、娘たちにとって、フランクは恐怖でしかなかったようである。)
 全体を通して描写が淡々としているために、一つのシーンが強烈な印象を与えるということはないのだが、老年の悲哀を上手く表現できていると思う。もしも本作が従来のマフィア映画と同じような漢字で演出されていたなら、晩年のシーランの姿が印象に残ることはなかったであろう。腕利きの殺し屋が老いのために自力で歩くこともままならなくなった姿、最早神にしか救いを求めることができないという無力。それらが印象に残るのも、壮年期の描写が淡々としているからである。

演技について

 本作はロバート・デ・ニーロアル・パチーノの3度目の共演が話題になっているわけだが、本作で一番輝いているのはラッセル・ブファリーノを演じたジョー・ペシである。デ・ニーロ演じるフランク・シーランは主役と言うよりもむしろ語り部に近く、デ・ニーロが彼ならではの素晴らしい演技を披露しているのは最後の30分弱である。また、はっきり言って、アル・パチーノ演じるジミー・ホッファはやたらと声の大きい中年男性にしか見えない。組合員を前にSolidarityと絶叫するシーンはギャグにしか見えなかった。ジミーが何故カリスマともてはやされていたのか全く分からない。本作だけ見た場合、最初から最後までジミーはマフィアの傀儡だったのではないかと思わざるを得ない。
 それに対し、ペシが演じるラッセル・ブファリーノはエレガントさやチャーミングさがありながらも、頭脳の明晰さと冷酷さが滲みでており、存在しているだけで画面全体に緊張感を走らせている。本作において、ラッセルが怒鳴り散らしたり暴力を振るったりするシーンはないが、一番怖いのはラッセルである。フランクとホッファが印象に残らない分、ラッセルの静かな怖さが際立っているように思う。賞レースにおいて、デ・ニーロとパチーノはノミネート止まりなのにも拘らず、ペシは複数の受賞を果たしている。それも宜なるかなと思う。
 (聞くところによると、ペシは本作のオファーを50回近く断ったそうだが、本作で一番目立っているのがペシであることを思うに、何故断ったのか分からない。脚本を読んだだけではそうなることが分からなかったのだろうか?)

人生の総括

 老年期は自分の人生を総括する時期である。自分の人生の歩みを自分で受け入れるのも時に困難だが、自分が人生で成し遂げたことを他者に評価してもらうのはなおのこと難しい。フランク・シーランもこの問題に直面した。
 フランクがマフィアと手を組むようになったのは家族を守りたいという意識からだったが、先述のように、娘たちはそう思ってはいなかった。家族という最も身近だったはずの存在から拒絶されたフランクだったが、彼には他の人間から承認を得るという道も閉ざされていたようである。最終盤、フランクは写真を見せながら看護師に思い出話をしようとしたが、その看護師はジミー・ホッファの写真を見て「Who is that guy?」(その男性は誰ですか)と言ったのである。ジミーの側近として活動していた頃の思い出を彼を知らない人間に話したところで、その凄さはほとんど理解されないであろう。また、フランクの下にはジミー暗殺の真実を知りたがる2人組もやって来たが、かれらは真実の方に関心があるのであって、フランクの人生を肯定・受容するためにやって来たわけではない。
 最終的に、フランクは神に縋ったようだが、神がフランクの求めるものを与えてくれたか否かは分からないまま終わる。
 (少し調べたところ、ジミー・ホッファを暗殺したのがフランク・シーランであることは事実として確定していないようである。つまり、フランクの告白がでっち上げである可能性が残っているということである。フランクを「信頼できない語り手」として描くという選択も取れたはずだが、本作はフランクの告白を真実として扱っているようである。)