田辺元と一遍(メモ)

 世間で鎌倉新仏教と総称される教派の開祖のうち、親鸞道元に関する哲学的考察は途切れなく出続けている。しかし、その他の開祖の思想が取り上げられることは稀であるように思う。このメモ書きで取り上げる一遍もその稀なグループに含まれる*1。この度、一遍の思想を宗教哲学的に考察するための糸口を発見したので、それをここにメモしておく。その糸口とは、田辺元の「死復活」である。

 田辺元と一遍の邂逅

  唐木順三田辺元に宛てた書簡(1958年11月27日付)で以下のようなことを書いた。なお、下の引用文で言う「系譜」とは唐木の「無用者の系譜」のことである。
 「一遍上人を読んでいるうちに、余りの面白さに、つい、ここで何十枚かになってしまい「系譜」は途中で切れそうです。道元と殆ど同時代のこの踊念仏の業者は実に偉く深いと思います。「語録」が少々あり、その外に死後何十年かに弟子によって書かれた伝記(聖絵)がありますが、そんなものを読んでいるうちに、親鸞を一面で更に徹底しているような、「捨聖」であったと思うようになりました。(中略)。この遊行の捨聖は、その中に既にデカダンスを含みながら、危いところで遊んでいるように思われます。」(唐木(2004:451))
 田辺は唐木の書簡を読み、それまでほとんど知らなかった一遍に対する関心をかき立てられた。この頃、田辺は「死の哲学」の構築に悪戦苦闘していたが、その作業を一時中断してでも一遍の思想に触れたいと思ったようで、唐木経由で一遍の語録と聖絵を調達した。それからしばらくして、田辺は大層興奮した調子で唐木に読後感を伝えた(1958年12月13日付)。
 「この上人の宗教史的位置付けが、例の小生一流のシェマに依って心に浮かび深き関心をそそられました。その時宗を唱える理由が、「平常を臨終時と心得念仏せよ」と勧むるにあり、而して所依たる阿弥陀経が、表面は自力念仏を勧むるも、裏面は諸仏の摂受護持を約束する他力念仏の信仰を説くものなることを考えますと、法然の浄土宗が未来往生を念ぜしむるに対し、親鸞真宗が過去の果遂即招喚に対する信心を主とするに比し、一遍の時宗が現在の平常臨終なるを救うる所、小生のいわゆる死復活の逼迫転換に通ずる如く思われ、少なからず心を動かされます。その即今の立場が禅に合するように思わるる所も心を引きます。(中略)。小生自身驥尾に付して宗教哲学の立場から、一遍上人時宗念仏をも考えて見たいとひそかに期して居ります。」(田辺(2004:453-454))
 一遍・法然親鸞の思想の関係を過去(種)、現在(個)、未来(類)に当てはめ、その理解に「種の論理」を援用したことの是非は問われるべきだが、田辺が一遍の思想に「死復活」を見出したことは、一遍の思想を宗教哲学的に考察するための手掛かりになると思う。

一遍の思想とキリスト教

 田辺は野上弥生子に宛てた書簡(1958年12月31日付)の中で以下のように記している。

 「ブルトマンの論文集にクリスト教信仰の実存的解釈が非常に禅の自覚と一致する所多く、それがまた唐木君の好意で送られた一遍上人縁起に見られる、他力念仏と禅的放下との合一に、通ずる所顕著なるに、宗教的実存の死復活的構造の汎通を確かめられて満足致して居ります」(田辺(2012下:221))
 先に引用した唐木宛書簡で、田辺は一遍の思想に禅仏教と通底する「死復活」を見出していたわけだが、この野上宛書簡では、さらに「死復活」が一遍の思想・禅仏教・キリスト教の3つに通底していると述べている。田辺は一遍の思想に関するまとまった考察を結局残さなかったが、ブルトマンの神学に関する考察を残している。それらを手掛かりにすれば、一遍の思想とキリスト教の比較すらできるのではないかと密かに思う次第である。 

出典

田辺元唐木順三(2004)『田辺元唐木順三往復書簡』,筑摩書房
田辺元野上弥生子(2012(2002))『田辺元野上弥生子往復書簡』,岩波書店

*1: 竹村牧男氏による先行研究があるとはいえ、親鸞道元に比べれば取り上げられる頻度があまりにも少ないのは否めない。