読書メモ:佐々木力『近代学問理念の誕生』(1992年)序論(3-32頁)

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今回からは「科学革命論―十七世紀的学問理念の形成と変容」と題された序論を読んでいく。

第1節:近代自然像の本末転倒(3-7頁)

近代の自然像では、具体的・現実的な自然世界がより根源的とみなされる自然世界へ、つまり、日常世界→生物学的世界→化学的世界→物理学的世界へと還元される傾向がある。このとき、我々の生は物理法則に則ったものとして理解されるが、それは馬鹿げたことであろう。
自然世界における存在を、より根源的とされる構造との関連で理解すること(還元主義)は、我々の生活世界における意味を豊穣にするが、それは生活世界の忘却と隠蔽でもある。
この本末転倒が何故生じたのかを明らかにするのに必要なのが、科学史的科学論である。

ヘーゲルヴィーコマルクス科学史的科学論の重要性を認識していたと言える。
ヘーゲルの自然哲学には時代遅れになった箇所もあるが、全体的な論理展開構造は今日でも他の追随を許さないものがある。
3人は観念の本末転倒を単に他の観念で置換しようとしたのではなく、本末転倒の発生と膠着化の歴史的メカニズムを踏まえた上で乗り越えようとした。

第2節:科学史的科学論の不可避性(8-10頁)

近代科学の独断論的理解に対する本格的な批判は、カントの『純粋理性批判』によって始まった。カントは「自然科学における革命が知性の自然への自己制限的問いかけ」に起因することを明らかにしたという意味では画期的だったが、理性は非歴史的なものとして扱われた。

クルト・ヒューブナーはクーンの科学論を哲学的に精緻化していく中で、カントの純粋悟性概念を歴史化しようとした。その際、ヒューブナーは科学理論の超越論的成分を構成するものはア・プリオリなものではなく、科学者が一定期間遵守すべく強制される「諸戒律」―これは歴史的・間主観的なものである―であるとした。

ヒューブナーの科学論の欠点
→科学者が一定期間「諸戒律」を保持しようとするのは何故か、また、戒律の転換(科学革命)は何故起こるのかが説明されていない。
この欠点は哲学によって乗り越えられるものではなく、科学史によって乗り越えられる者だと氏は考える。

第3節:十七世紀的学問理念の特質―有用性と確実性(11-

 「科学理論は四次元物理学のみによっては「不十分にしか決定できず」、もう一つ五次元目の科学史的考察を必要とする」(11)
つまり、科学理論の経験的部分は物理学によって決定できるが、超越論的な部分は科学史によって解明するほかない。
「歴史的説明の特異性は、観念や思想が超越的に上空から落下してくるような説明を禁じ、あくまで歴史それ自身の中から生成し消滅していくものとして説明しようとする志向性にある」(11)

科学革命を引き起こした思想家たちに共通する信念
→「この現実の日常的世界は仮象の世界であり、表面的現象、つまりイデアの影の彼岸に、本物の世界と関係する何らかの学問が建設可能である」
この信念の下、彼らは有用性と確実性という「諸戒律」に従った。

近代学問と有用性の結びつきはピエール・ガッサンディ如実に見られるが、近代学問をさらに確実性へと結びつけたのはデカルトであった。
デカルトが近代哲学の祖と呼ばれるのは理由なきことではない。デカルトは近代的学問構造の2つの戒律、有用性と確実性に到達した最初の思想家だからである(18)。
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デカルトが提示した有用性と確実性という2つの「戒律」もまた、歴史的なものである。永久不変の「戒律」ではない。

第4節:十七世紀的学問理念の受容と変節(20-23頁)

ニュートンの思想は自然像を提示しているが、ニュートン科学が制度化される過程で、その自然像が生活世界にも適応されるようになった。そして、科学は数学的・実験的形態に矮小化され、有用性と確実性という2つの戒律に疑義が挟まれることもなくなっていった。
十八世紀の啓蒙主義は、科学を何の正当化も必要としない営為にする思想運動、超越論的成分の膠着化の運動だったと言える。

第5節:二律背反の解消―歴史的生活世界の復権(24-

十七世紀で言う「有用性」は資本主義的富の蓄積や物質的生命の存続に資するもののことをいい、個人の創造性の発展や個々人の連帯に資するものとしての有用性とはほど遠いものであった。
「十七世紀の思想家たちは、自らの問題の解決のためにだけ有効な学問理念を頭の中に描き、ともかく危機の発生源から全力で逃れようとした。まさしくそのために闘争未経験の後の世代で超越論的成分の膠着化が起こり、旧いドグマに代わる新しいドグマが定着した。(中略)。ドグマが桎梏に転化し権威を喪失した時代の思索者が、ドグマをドグマとして実体を暴露し、戒律の変更を求めることも歴史的責務である」(25)

現代人がやるべきことは、近代科学の自然像の実体化を拒絶し、その生活世界との連関を明らかにした上で、実体化=物象化を引き起こした歴史的メカニズムを解明することである。

「歴史的考察も過去と現在の理解を一段と深化させ、現在の矛盾の解決を目指すだけの知的営みで」あるべきだ。「依拠すべき批判的科学史に敢えて「批判的」という形容詞を冠するのは、まさしくあらかじめこの忘却に警告を発するためである」(27)