読書メモ:中村雄二郎「西田哲学と日本の社会科学」(1995年)

 中村雄二郎の論文「西田哲学と日本の社会科学」は『思想』の1995年11月号に掲載されている(5-22頁)*1。この論文は中村の著作集に収録されていないため、敢えてメモを作成して公開することにした。

1.三木清の<遺言>と『構想力の論理』(5-8頁)

これまでの西田哲学研究は西田哲学に忠実なものか、単純に西田哲学を否定するものしかなく、創造的な対話を試みた者はほとんどない。
西田の「東洋的現実主義」に対決しようとして果たせなかった三木清
※中村が哲学者を志し、かつパスカル研究を始めるきっかけになったのは三木清の『パスカルにおける人間の研究』を読んだことである。若き中村は西田哲学を自分と縁遠いものとしか思っていなかった。

『構想力の論理』には卓越した洞察もあるにはあるが、全体としてその試みが成功しているとは言えない。
三木が『構想力の論理』でやろうとしたことは、中期以降の西田哲学が取り上げた諸問題を、経験科学の知見、つまり、より具体的で客観的なものを媒介として考察していくことであった。
三木が客観性と媒介性の強い制度と技術を取り上げたことは注目に値するが、中村がより関心を持つのは制度の方である。
cf.梯明秀は「非常時局と合理主義」(1936年)で西田哲学を吟味する際に制度の視点を持ち込んだ。

2.中期の西田哲学の関心と三木の追跡(8-10頁)

 三木が中期西田哲学に抱いた疑念は「永遠の今の自己限定の立場に立つ述語主義の論理が、いかにして過程的弁証法を自己の契機とすることができるだろうか」というものであった。過程的弁証法を自己の契機としない限り、その述語主義の論理は観相的になってしまう。

3.西田のヘーゲルマルクス克服の企て(11-15頁)

マルクスがいうところの存在の基礎としての物質を絶対無に引きつける西田の読解は強引に思えるが、無理筋ではない。万物の根源として質料(物質)を理解し、それを西田の立場から見れば必然的にそのような読解が出てくる*2
西田は質料を絶対無と重ねて理解することで、従来消極的な概念として扱われてきた質料を積極的なものとして理解する道を開いた。

西田のヘーゲル批判はその<有の論理>の曖昧な点を<無の論理>から巧みに捉え直し、その生成をも説得的に説明している。
but
西田の場所的弁証法ヘーゲルの過程的弁証法を含むor超えたとまでは言えない。
ヘーゲルの過程的弁証法は時間的だが、西田の場所的弁証法は超時間的である。
西田の場所的弁証法は<弁証法存在論>とも言うべきものである。
cf.戸坂潤「<無の論理>は論理であるか」(1933年) 
→<無の論理>が専ら事物の意味を扱おうとする理由は、意味が存在(有)ではなく無の次元のものであるからだと指摘。

4.<弁証法的一般者>とイデオロギー論(15-19頁)

媒介者そのものの自己限定が我々の自己そのものを限定するところに、制度や文化やイデオロギーの基盤を見るという西田の洞察は鋭い。
三木のイデオロギー論(1932年)の基礎には虚偽意識に基づく疎外論があり、その議論は西田の表現的世界とも繋がっている。ただ、当時の三木は自らの議論と西田哲学の繋がりを考察しようとしなかった。

戦前以来の日本の社会科学の3つの型*3
①<疎外的客体性>、つまり、歴史的・社会的な現実の全体をその質料的・物質的な基礎から、経済的な生産力と生産関係から理解しようとするもの
マルクス主義的な社会科学

②現実の質料・物質的な側面を重視しつつも、<表現的世界>の問題に結びつく<疎外的客体性>のフォーマルな側面が持つ独自の働きを重視するもの
ウェーバー社会学、社会システム論、構造主義精神分析的な社会理論

③<疎外的客体性>のような存在論的観点を持たず、現実を対象化・数量化して理解しようとするもの
→計量社会学、行動主義

西田哲学は②の社会科学と一番近いはずだが、実際に多く関わってきたのは①の社会科学である。
理由1:西田哲学の主語的論理から述語的論理へ、主語-述語の思考から場所の自己限定へという発想の転換が社会科学的な手続きになじまず、②の社会科学が西田哲学を役立てるのが難しかったから。
※西田哲学がもたらした発想の飛躍は、意識から無意識への転換に比べてはるかに大きい。
理由2:社会科学の論理が扱う現実の複雑さに比べて単純すぎるから。

このような現状を踏まえた上で、三木が果たせなかった西田哲学と社会科学の架橋という課題を遂行するにはどうすべきか。

5.<場所>的<弁証法>脱構築のために(19-22頁)

上述の課題を遂行するには、西田の社会存在論の要となる弁証法的一般者によって体現される場所的弁証法脱構築していく必要がある。

西田は性急に場所を絶対無と結びつけてしまい、その結果、相対的な次元が排除された。

西田以前、弁証法そのものが根底から考察されることはほとんどなかった。
西田の場所的弁証法は「弁証法とは何か」という問題の解明を一層困難にした。
絶対矛盾の克服をも目指した場所的弁証法は、恣意性の入り込む余地が大きいと言える。
場所的弁証法に限らず、弁証法は恣意性が入り込むため、理解を拒むという事物の抵抗を正当に受け止めなくなりがちである。
※その理由については『共通感覚論』の第3章第5節を参照せよとの指示がある。
”西田の場所的弁証法は、キルケゴールの質的弁証法の<パラドックス>(背理、逆説)の考え方を取り込むことによって、弁証法を場所化し絶対化して、過程的弁証法を乗り超えつつ、それを自己のうちに含ませようとした。そのためにいっそう多くの契機を取り込んだものの、恣意性が強まり、悪しき意味での言語の論理になった"(22)
過程的弁証法(量的弁証法)も質的弁証法も、修辞学的観点を取り入れて吟味した上で、その機能と欠点を解明していく必要がある。

疑問と感想

中村の議論に対しては以下のような疑問が浮かぶ。

・西田の場所は相対的な次元を排除したと言うが本当か、仮にそうだったとして、西田の場所概念は相対的な次元をも語るための道具だったのか。もし西田哲学に即して身体性の次元を語りたいなら、歴史的身体に依拠すれば良いのではないか。
・西田の弁証法の本質を解明するというなら、船山信一の『日本哲学者の弁証法』が何故先行研究として検討の俎上に上がらないのか
三木清の『構想力の論理』を西田哲学と経験科学の架橋を目指したものと理解するなら、同じく西田哲学超克を図ったものとされる遺稿『親鸞』はどう理解されるのか。
・そもそも、西田哲学と日本の社会科学を架橋するとはどのような意味か。もし、「架橋」が社会科学の知見を参照しながら西田哲学を読み直すという意味であれば、①や②の型の社会科学だけではなく、③の社会科学と西田哲学を「架橋」することが可能であるはず。しかし、中村の関心は専ら②の社会科学と西田哲学の「架橋」にある。では、「架橋」とはどういう意味なのか。

以上のような疑問はあるにせよ、中村が何故「西田哲学と社会科学の架橋」という問題に関心を持ったのか、それをどのように乗り越えようとしたのかをはっきり示す論考である。この問題をさらに掘り下げたのが、中村の論文「<主語的論理>と<述語的論理>の射程」(2002年)である。

*1:同号は西田幾多郎没後50年という節目の年に西田哲学を特集した号で、中村の論考の他にも、大橋良介氏や新田義弘氏らによる重要な論考が多数収録されている

*2:そうなのか?

*3:<疎外的客体性>とは否定的な<疎外>だけではなく、肯定的な<自己外化>、ニュートラルな<自己客体化>を合わせた概念である