読書メモ:中村雄二郎「制度論的視角と日本型思想」(1962年)

 中村雄二郎の論文「制度論的視角と日本型思想」は『思想』(1962年7月号)に掲載され、その後『近代日本における制度と思想』(1967年)の第1章に収録された。今回は、『中村雄二郎著作集』第二期10巻に収録されているバージョンを読んでメモを作成した。ついでに、『近代日本における制度と思想』の「まえがき」からも重要だと思われる箇所を抜粋した。
 この論文は中村がその生涯にわたって問い続けた「日本思想史における制度論の不在」という問題がまとまった形で表れた初めて論文であり、1980年代以降の西田哲学論を理解する上でも重要な論考だと言える。当時の中村は明治期に活躍した法学者の国家観・家族観を考察することで先の問題にメスを入れようとしたようだが、1980年代になると、西田哲学を通したアプローチへと変化していく(この変化が何故生じたのかは不明)。

まえがき(1-5頁)

「近代日本における制度と思想」を考察する際の3つの要点
・近代日本の場合、ヨーロッパに比して思想や哲学そのものの在り方が自律性を欠き、したがってまたそれらの理論的機能が弱いため、考察に当たって方法論上の考慮を必要とする
・明治期日本の「近代化」が自発的なものと言うよりも、欧米列強に伍するために否応なしに迫られたものであり、近代的な諸制度を取り入れることが至上命令であったことの意味を考える
・制度と思想の関わりに注目することで、日本思想が陥りがちだった「制度的現実」への無感覚と無批判的追従の問題を浮き彫りにする。

第1章:「制度論的視角と日本型思想」

制度を哲学上の問題として取り上げた先行研究として、三木清の『構想力の論理』と長谷川如是閑の制度論が存在する。

三木清『構想力の論理』について

中村も三木と同様「客観的なものと主観的なもの、合理的なものと非合理的なもの、知的なものと感情的なものを如何にして結合し得るか」という問題を共有する
中村が見た三木の問題点
・神話、制度、技術、経験の4つをロゴスとパトスの弁証法的統一として捉えたは良いが、それぞれの相違点が見えにくくなっている。
・様々な学説を参照して考察を進めているが、そのせいで問題が曖昧になっている。
・発想の起点を神話に取ったため、技術や制度が人間に対して持つ超越性・非情性が希薄になり、制度の人間による被操作性の問題が弱くなった
but
三木が制度を「人間の行動と環境の関係」から理解しようとしたのは注目に値する。
三木の制度論では、制度のロゴス的側面とパトス的な側面の緊張関係が捉え損ねられており、前者が後者に還流する傾向がある。

長谷川如是閑の制度論について

長谷川の制度論は寺院や家族も制度に含めるという曖昧さを残し、スペンサーの社会進化論からの影響が強く見られるという欠点を有するが、制度が「生活の具体化の手段」「生活を促進させる生きた機関」であるという見方は的確である。
制度の道具性やメカニズム、制度と人間の関係が見事に把握されている。

日本思想における3つの型

①国体論的思考
国体を自然発生的なものと理解し、そのフィクション性を否定する。制度の持つ道具性とメカニズムの認識を欠くため、制度の観念化が行われる。この思考は制度論的な思考と正反対である。
穂積八束上杉慎吉井上哲次郎らに見られる。
民本主義
吉野作造は名目上は主権の所在や国体の形態だけは制度化、デモクラシーを非制度化することによって、実質上は、主権の所在や国体の形態を棚上げして非制度化し、それらから自由なレベルでデモクラシーを制度化しようとしたと言える。
吉野の実践の意義は大きいが、国体の非制度化は理論としては看過しがたい欠陥である。この立場からは国体論的思考を批判しきれない。
③近代的自我の思想
制度論的視角と無関係なところで成り立ち、制度論的視角との関係を断ち切ることで深化した。
近代的かつ内面的な自我は明治国家という制度と厳しく対立するはずのものだが、内面に閉じこもっているが故に対立や緊張を欠いている。
山田宗睦のように、北村透谷や西田幾多郎に「近代の公的な市民的知的交通世界」、つまり、明治国家に抗しうる市民社会の建設を見るのは不当である。両者の思考には制度論的視角が欠けているからである。

「近代日本の不幸は、天皇制国家原理が「国体論」と「家族制度」とによって、「市民生活」はおろか「私生活」までも、次第に「国家生活」のうちに繰り込こみ、政治の道徳化の名目のもとに道徳の政治化が行われて、国家から完全に独立して生きるためには、政治的にしろ、芸術的にしろ、普通いう意味での「私生活」さえもちえないアウトサイダー、社会的な非存在たらざるをえないところにあった」(24)
このような環境下では自立的な思想は生まれにくいが、日本で自立的な思想が生まれなかった理由を環境にのみ帰することはできない。思想家の責任もある。

思想は自立的であることによって現実との距離を保てるはずが、日本では、思想が時代の変化に合わせて次々と変転した。
内部生命的な近代的自我が制度論的視角を欠くことで、無媒介に国家的な内部生命と結びいた。
制度論的視角を欠いたが故に、近代の日本思想はあっさりと「観念化された制度」に吸収されていった。
こうした事態は戦後も変わっていない。