読書メモ:納富信留ら編『世界哲学史1―古代1 知恵から愛知へ』(2020年)第2章から最後まで

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第2章以降にも「世界哲学史」の総論を理解する上で重要な箇所がいくつかあったので、そこを抜粋しておく。

第3章:旧約聖書ユダヤ教における世界と魂(髙井啓介)

旧約聖書に描かれる「世界」(「天と地」)はヘレニズム的なコスモスが意味する「世界」とは様相が異なっていた。世界の秩序は自然に内在する法則によって整えられたものでもなく、その法則によって維持されるものでもない。それが成ったのは、この世界を調和のとれたものとして、また秩序の備わったものとして創造しようとした神の意志による。(中略)。この世に存在するものについて神はそれをすべて肯定し、祝福を与えている。世界に悪しきもの、いらないものは存在しない。それが旧約聖書の根本的世界観である」(102)

第4章:中国の諸子百家における世界と魂(中島隆博

世界について考察する際、我々は自己を起点にする傾向があるが、古代中国の思想家たちは他者を起点にしていた。彼らの思想は我々の常識を揺さぶる思想である(131)。

第5章:古代インドにおける世界と魂(赤松明彦)

世界哲学史の先駆者としてのパウル・ドイッセン
ヘーゲルのように、インド哲学を西洋哲学に劣ったものと理解するのではなく、西洋哲学とは別様の思考と理解した。
ドイッセンは『マハーバーラタ』のような叙事詩に表れた思想もインド哲学として扱ったが、これは彼の慧眼だと言える。

「古代インドの哲学について単に概論的に述べるだけであれば、その内容は、表面的には、おそらく古代ギリシアの哲学とそれほど違ったものではない」「原典を示し、そこでの思考法や議論の仕方を見てこそ、おそらくインド的な「哲学」のあり方を理解することができる」(141)

インド哲学の書物は架空の対話・論争を通してその議論を展開していく。一人の思想家が主題に対する自らの考えを緻密に論述していくという形式の書物はほとんどない。
対話や論争を生み出せるほどの多様な世界観がインドで存在を許容されていた。

アートマンとは何か」と問うのはその存在を疑うためではなく、永遠の原理、節の実体としてのアートマンを真に知るためであり、宇宙の最高原理であるブラフマンと自己の一体化を経験するためである。

第6章:古代ギリシアの詩から哲学へ(松浦和也)

西周はフィロソフィアを希哲学と訳したが、その後、希が外れた哲学という語が訳語として日本及び東アジア圏で定着した。「知を愛する」の「愛する」を訳した希が訳語から欠落したことは、哲学の「愛する」という重要な要素を覆い隠してしまったかもしれない(160)。
哲学(フィロソフィア)という言葉には、我々が知に関して不完全であり、また、完全になり得ないことを自覚しつつも、それでもなお完全な知を求めようとする中で表れる謙虚さと羨望が含まれている。

ソクラテス以前の哲学者という表現は今日では使われなくなりつつある。と言うのも、彼らの中にソクラテスの同時代人が含まれるからである。現代では、初期ギリシア哲学という表現が用いられる。

「万物の根源は水である」と主張したタレスは何故哲学者と呼ばれうるのか。彼らの主題は現代であれば物理学者が取り扱うであろうものだろうし、その主張の内容は今日的に見ると荒唐無稽である。
そもそも、万物の根源や原理について問わない者は哲学者と呼べないのだろうか。
ソフィスト→抽象的な概念を使って論理的に議論を展開した
パルメニデス→「ある」(存在や有とも訳される)について論理的かつ抽象的な議論を展開した
抽象的な議論を展開することを哲学の特性とみなすなら、パルメニデスを哲学の祖とみなすことも可能である。


万物の根源・原理を語った者が哲学者であるなら、何故ホメロスやヘシオドスは哲学者ではなく詩人に区分されるのか*1
・詩から哲学への移行を「韻文形式から散文形式へ」と解した場合、韻文が多く残るパルメニデスやエンペドクレスはどうなるのかという問題が発生する。
・詩から哲学への移行を「神話から論理へ」と解した場合、つまり、哲学は詩の内容の論理化・明晰化であると解した場合、哲学に詩の内容が反映されているケースが多くないという事実をどう理解するのかと言う問題が発生する。また、初期ギリシア哲学には神秘的な要素も多く残っている。
パルメニデス以前の哲学者を哲学者と呼びうる理由は、彼らが抽象的な議論を展開したというよりも、詩が語る内容や先立つ諸見解を無批判に権威として扱うことをせずに、むしろそれらを検証し、別の可能性を提示した、という彼らの思索に向かう態度にある」(182)


「初期ギリシア哲学に哲学の原型を探すことは、哲学の理解がおぼつかないにもかかわらず、哲学者の資格審査を行わなければならない、というディレンマを抱えている」(183-184)

第9章:ヘレニズムの哲学(荻原理)

ヘレニズム哲学を内在的に理解すると共に、それが外部の人間にどう映ったのかを検討していくというアプローチを採用。
「ある哲学について外部者がもつイメージはしばしば歪んでいる。だが、そんな誤解にさらされたということも、その哲学の、世界における経歴の一部なのだ」(243)
「ある哲学に対し、これを好意的に理解しようとしない者がいくらでもいる場所、それが世界ではなかったか。世に通用するイメージのこの苦味、雑味こそ、世界性の味なのである」(245)
「近代科学は原始論的な枠組みを採っている点で、デモクリトスエピクロスの自然学に通じる。ただし、近代科学による、物体の運動法則の数学的定式化は、コレラの古代人には思いもよらなかっただろう」(263)

第10章:ギリシアとインドの出会いと交流(金澤修)

紀元前330年、アレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを滅ぼし、その4年後にはインドにまで進出した。これにより哲学史上初めて、西洋思想と東洋思想が直接交流することになった。
「個別の事物の「あり方」については類似した立場をとるものの、対象の一義的な把握の不可能性をあくまでも主張するピュロンと、「世界のあり方」については「真理」の把握を前提としている仏教とは異なっている」(273)
1958年にアフガニスタンで発見された「第一碑文」はアショーカ王碑文をギリシア語とアラム語に訳したものだが、そこにギリシア哲学に詳しい訳者独自の解釈が見られるのだという。この碑文を以て、ギリシア哲学と仏教思想の融合とみなし、「世界哲学」の誕生とすることもできる。
「人間の名前とは、それを構成する要素の集合体につけられているに過ぎず、諸要素の中には、個人を個人としている唯一の実体は存在しないというナーガセーナの説明は、20世紀の分析哲学者・ギルバート・ライルによる魂をめぐる考察を彷彿とさせ、興味深い」(287)

 

*1:故廣川洋一氏は『ソクラテス以前の哲学者たち』でヘシオドスを哲学の祖とみなす議論を展開した