読書メモ:柳田謙十郎「西田哲学の超克 ―わが思想は哲学の根柢を求めて遍歴する―」(1950年)

戦前、柳田謙十郎は「著者はその生命のつづく限り(西田の著作を)更に深く読み直し考え直すことによって一年一年とその理解を深めてゆくことを以て自己の生涯の課題として行き度い」とまで述べていたが*1、いつの頃からか西田哲学に飽き足らぬ物を感じるようになり*2、ついには西田哲学から唯物論への転向を宣言する。その転向宣言として発表されたのが、このメモで取り上げる「西田哲学の超克―わが思想は哲学の根柢を求めて遍歴する―」(1950年)である。同論文は雑誌『日本評論』第25号に発表された後、『柳田謙十郎著作集』の第2巻にも収録されたが、このメモで参照したのは前者である。

なお、本論文では西田哲学をどのように「超克」するのかという問題に対して方向性が示されるに留まっており、西田哲学を「超克」した柳田独自の哲学的理論の発表は『西田哲学と唯物論』(1972年)をまたなければならなかった。

念のために申し上げておくが、私は以下で示される柳田の見解に同調するものではない。特に、西田の弟子たちの戦争加担問題に対して、自分には直接的な責任はないとする柳田の主張は受け入れがたい。自分が戦時下に何を言ったのか忘れたわけではあるまいに(この問題については余力があれば後日まとめてみたい)。

第1節(57-58頁)

唯物論と西田哲学は水と油のように思われている。西田先生の弟子たちの大部分は戦前の観念論を未だに支持しており、唯物論に敵意を向けるだけではなく「マルクシズムの超克」を目指している者すらいる。彼らの反唯物論の傾向は西田哲学に根拠を持つものである。こうした状況もあり、唯物論者の側も盛んに西田哲学を批判している。
そうした対立は「私のような幾分の異端者」の出現によって緩和された感がある*3

戦時中、西田哲学は右翼から排撃された。右翼は「当面の戦争に対して主体的情熱のない傍観の哲学」「祖国日本の伝統的精神をわすれたヨーロッパかぶれの世界性哲学」「日本民族の実践的利害に対して無関心な単なる理論の哲学、空疎な観念の遊戯をもてあそんでいる机上の論理」などと批判し、「戦時日本国民の闘志をよわめ、その戦力を低下せしめるところの最も有害な思想」であるとみなしたが、その批判は論じるに値しないほど低レベルなものであった(57)。

戦後、西田哲学は一転して帝国主義国家主義を擁護する哲学として論難され。知識人の間に唯物論が広まると、その批判はますます激しさを増した。
こうした批判は戦前の右翼のものよりはレベルが高いが、その背後に政治的な意図を有しているという点では戦前と変わらない。

唯物論者による西田哲学批判は以下の3点に向けられていることが多い
・西田哲学は観念論哲学の中でも最も観念論的なものであり、唯物論と相容れない
・西田哲学は資本主義の矛盾を黙認する傾向を有する傍観者の哲学である。西田哲学のブルジョワジー性は西田の弟子たちの言論と行動を見れば一目瞭然である。
・西田哲学は天皇制を肯定する絶対主義の哲学である。しかも、戦前の右翼による天皇制肯定に比して、西田哲学は論理的に遙かに洗練されており、多くの人々により受け入れられやすい(現に西田哲学は大衆に支持されている)。その意味で悪質である。

第2節(58-60頁)

以上3点の批判は西田哲学の弱点を的確に突いている(弁解の余地は残されているにせよ)。しかし、柳田は戦後すぐの時点においてはこうした批判の意義を理解できなかった。というのも、唯物論者による批判は「はじめから攻撃のための攻撃というような性格をもち、西田哲学に含まれた真理を少しも問題としようとも」しなかったと感じられたからであった(58)。

「先生は明治時代のブルジョア的社会の発展期に育てられた人として、その教養の方向が全体としてブルジョア的であり、そのためにプロレタリヤ的な階級の立場に立ち切るなどということは到底できなかったひとである」(58)
西田哲学のブルジョア性は批判されるべきものだが、「政治的な党派的態度を理論の世界に持ち込んで」西田哲学を一蹴すべきではないマルクスレーニンは観念論を一蹴したわけではなく、そこから多くを学び取ったではないか。
「今日の唯物論といえども尚完成したものではなく、発展の途上にあるものであるかぎり、そこに無限の自己否定が行われてゆくのでなければならない」。唯物論の発展のためにはそれと対立する他者も必要なのである。西田哲学にはそうした他者としての意義が存する。

今日の唯物論者には西田哲学を内在的に読解する姿勢が欠けており、それ故に西田哲学の核心を把捉できていない。「日本の唯物論者諸君も今少し西田哲学に対して深い尊敬と徹底した理解への努力をもってよい」(59)。

そういう考えもあって、柳田は唯物論者による西田哲学批判に同調する気になれず、それ故に唯物論者から敵視されたこともあった。

第3節(60-62頁)

西田哲学をもって現実の歴史的な実践の問題に立ち向かえるものではない。階級社会の問題も解決され得ない。その一方、唯物論は社会問題の原因を解明することができ、それを解決するためにどのように行動すべきという指針まで与えてくれる。
戦時中、西田の弟子たちが戦争擁護に走ったのは恥ずべきことである。弟子として西田先生に汚名を着せた上に、国民全体に迷惑をかけてしまった。
「もしあの時私が唯物論を学び知っていたならば、あのような友人たちの行動に対してもっと明確に否定的な立場をとることができたであろう。彼らとなりわかれになっても自信をもってその非を説いて争うことができたであろう。そして彼ら自身をも今日の追放への運命からあらかじめ救うことができたかもしれない」「私はこのことを自己の生涯にわたる一大過失として深く良心にはじ、その苦悩を最後までもちつづけて生きるほかはない」(60-61)

第3次世界大戦の危機が迫る今、柳田は是が非でも戦争を食い止める覚悟を決めた。太平洋戦争中の無策を悔やむからこそ、柳田は将来の日本を思わずにはおれなかった。
戦争を食い止めるには、日本国民を無知から救い出さなければならない。科学的に現実を見る知性を涵養せねばならない。それができるのは唯物史観だけである。
真の道徳も真の科学も唯物論にその真理を見出す*4

無産者は下品で下劣、時には暴力的ですらあるが、彼らがそうなったのは政治的・経済的現実によって追い詰められたからである*5。観念論者たちは無産者の苦境を見ようともせず、ただ道徳的に論難するばかりである。
太平洋戦争という侵略戦争に命がけで抗議し得たのも唯物論者だけであった*6。今日の危機に対して最後まで戦いうるのも唯物論者だけであろう。

第4節(62-64頁)

柳田は長い間求道者として良心的な立場に立っていたが、その良心は現実から乖離していた。真の歴史的な良心は唯物論者にこそあったのだ。この確信故に柳田は『プロレタリヤの倫理』(1949年)以降、思想的転回を遂げ唯物論の軍門に下った。
「社会革命というような仕事は決して文化人が文化国家をつくるようなきれいごとではない」(63)
自分でも驚くほどの学問的情熱を以て、柳田はマルクスの内在的な読解を進めた結果、マルクスの理論が単なる唯物論に尽きるものではないという結論に到った。
マルクスは自らを徹底的な唯物論者とみなしていただろうが、マルクス自身の意識も存在によって規定されることを忘れてはならない。マルクスの哲学の根底には「単なる唯物論の限界をこえた人間性に対する高きヒューマニズム的自覚」が存する(63)。

「人間の自己疎外とその恢復のための弁証法的自己否定運動の底には、明かに人間の自由の自覚、いかなる物質によっても隷属化せしめられてはならない人間の人格価値の自覚がよこたわっている」(63)
階級闘争が政治闘争や利害闘争を超え、搾取のない社会への革命という方向を生み出すには、その根底に高次な人間的自由と価値の自覚が必要である。

マルクスが「どこまでも人間の唯物化に対して深く抗議しこれを真の人間的存在たらしめるヒューマニズム的存在」であるという「自覚せざる自覚」を掘り下げていくとき、人は再度西田哲学の世界に帰らざるを得なくなる。
そもそも、マルクシズムと西田哲学は現実の世界を弁証法的世界の自己限定をみなす点で一致している。
西田哲学は現実の世界が即自的には物質的自然の世界であることを軽視し、対自的な意識的人間の世界から出発したため、観念論を脱却できなかった。一方、唯物論は物質的自然の世界から出発したは良いが、物質的自然から意識や精神が直線的に導出できると理解した点に間違いがあった。そのために、マルクス的な唯物論は「意識や精神のもつ弁証法的性格、その物質に対する絶対否定的な論理的構造」を解明できなかった。

唯物論弁証法唯物論として根柢まで掘り下げたとき、「世界は根源的に能産的自然の世界として、所産的自然をつつむ主体性原理によってつらぬかれたものであることを見出さざるを得なくなる」。ここにおいて、あらゆる対立が絶対矛盾的自己同一となる(64)。

正統マルクス主義から修正主義と批判されるかもしれないが、柳田の意図はマルクシズムをカント的に読解することにあるのではなく、真の唯物論を確立することにある。

*1:柳田謙十郎『実践哲学としての西田哲学』431-432頁, 弘文堂, 1939年

*2:その辺のいきさつについては柳田の自伝『わが思想の遍歴』(1951年)に書かれているが、どこまで鵜呑みにして良いのか疑問が残る。転向を正当化するために後付けで理屈が拵えられたのではないかという疑念がどうしても拭えない

*3:柳田は自分を異端者であると自覚していたようである。

*4:『実践哲学としての西田哲学』では、西田哲学によってこそ真の倫理学が確立されると主張していたわけだが(同書96頁)

*5:柳田は如何なる立場に立ってこのような言動をしているのだろうか。このような発言を平然と為す人物が「無産者」と連帯できるのだろうか

*6:南原繁矢内原忠雄の戦時中の行動は命がけの抗議とみなされないのだろうか。