読書メモ:下村寅太郎「田邊哲学の発展とその性格」(1952年)

 下村寅太郎の論文「田邊哲学の発展とその性格」は『田邊哲学』(弘文堂、1952年)に収録され、『下村寅太郎著作集』の第12巻にも収められている。今回読解したのは後者のバージョンである。この論文には下村が師匠である田辺元の哲学のどのような点を高く評価していたのかがはっきり現れている。また、「種の論理」以前の田辺哲学を解説した文章としても、未だに読むに値すると思われる。

第1節(333-337頁)

西洋哲学受容の時期を経て、「初めて我々自身の伝統的な体験と知恵を基盤とした我々の哲学を体系的に組織した我々の最初の哲学者」は西田幾多郎だが、我々の「第二の哲学者」は田辺元である(333)。
本来、西洋哲学は科学を常に媒介とするものだが、19世紀半ばの西洋では既に両者が分離していたこともあり、日本では哲学と科学が別個のものとして受容された。
「学」としての哲学が受容されたのは明治末期のことである。哲学の理論的性格が最も強く出るのは科学哲学においてである。
科学哲学は単に科学に関する哲学に留まるものではなく、科学を媒介にした哲学、科学の自覚としての哲学である。科学即哲学、哲学即科学という性格を有するのが本来の科学哲学である
科学の自覚としての哲学こそ哲学の根本動機である。
「学」としての哲学を初めて我々の哲学の問題とし、独自の哲学体系を作り上げた人物こそ田辺元である。「田辺博士はわが国において科学哲学なる哲学の一分野を開拓しその基礎を置いたというだけでなく、博士においてわが国の哲学は初めて哲学そのものの根源的動機に到着したということができる。これは確かに我々の学問史の、否、我々の精神史の事件というべきである」(334)

今日に到るまで、『最近の自然科学』、『科学概論』、『数理哲学研究』に代わる体系性を有する科学哲学書は出ていない。上の3書以降、田辺も科学哲学に関する体系的な書物を出していないが、科学哲学に関する論文は発表しており、それらは科学哲学における指導的地位を占めている。
特に、「微視的と巨視的」「古典力学弁証法」は「後年の成熟した自由な弁証法的思惟の発揮された最も雄渾深遠な科学哲学的労作」である(335)。

田辺哲学の本質は科学哲学にある。「田辺哲学においては科学哲学が単に科学に関する哲学たるにとどまることを止め、実質的内面的には科学哲学的契機がより重要さを増してくるのであり、むしろ田辺哲学の発展とともに深化し、よって以て田辺哲学の性格をいっそう鮮明にする」(335)

田辺の「種の論理」はマルクス主義国家主義に抗し、人格的個体的主体の尊厳を確立する道を開こうとするものであった。
懺悔道は本来の弁証法を極限まで徹底したものであり、これによって宗教・倫理・科学を真に媒介する哲学が樹立された。懺悔道は宗教哲学だが、根本精神に科学哲学があるという点に変更はない

「田辺哲学がここに到るには実に古代以来現代に及ぶ一切の西洋の典型的代表的思想と対決し、さらに東洋の最も貴重な伝統であり、その最も深き知恵である大乗仏教の思想に沈潜し、いわば世界の西の端から出発して層々聳立する巨峰を踏破し尽くして遂に世界の東の涯に達したのであり、否、さらに東の端から西の端への回帰往還である。この哲学的遍路歴程の完遂はまことにヘラクレス的偉業と言わざるを得ない」(337)

第2節(337-341頁)

田辺哲学は科学哲学を根本動機としているため、常に論理の追求が中心問題となる。田辺哲学ほど批判的論理的な性格を徹底している哲学は稀である。
田辺哲学が時事問題を積極的に扱うのは外部に対する受動性故ではなく、むしろ外部に対して極めて能動的だからである。哲学が時事問題を扱うには体系性どころか、自己そのものを絶対否定する決意を要するのである。
田辺は常に偉大な批判的思想家であったが、同時に最初から偉大な組織的思想家であった。自己の思索の究極原理を常に追求し、それを以て一切の事象を把握しようとしていた。

田辺は『科学概論』で科学に対する批判を遂行しつつ、その批判を可能にする実在を明らかにするための形而上学を構築しようとした。これは西田の『自覚に於ける直観と反省』に多くを負っている。
田辺は西田哲学の偉大さを理解しつつも、内在的な批判を通してそれを超えた/超えようとした最初の思想家である。

第3節(341-347頁)+第4節(347-349頁)

『カントの目的論』はそれ以降の田辺哲学の問題と関心の方向を示す著作である。同書以前、田辺の関心は専ら自然科学的領域にあったが、同書以降は実践哲学に重きを置いていくようになる。田辺はカント哲学の発展過程を追思考したと言える。
カントにおいても田辺においても、批判は哲学の方法であって哲学の目的ではない。哲学の任を批判に限定した新カント派と異なる点である。
『カントの目的論』は田辺哲学が弁証法哲学へと発展していく転換点となった。

第5節(349-353頁)

ヘーゲル哲学と弁証法』において、田辺哲学の基礎となる思想が確立されたと言って良い。弁証法への移行はそれまでの田辺哲学の放棄を意味するのではなく、その推進を意味する。
「絶対弁証法として田辺哲学が最も強調するところは客観を主観より発出生産されるとする発出論の否定である。これは主観的観念論に転落し観想的立場に堕するものとする」(352)
同書において転回される思想は、カントの実践理性優先の立場を徹底・復活させたものだが、その復活のさせ方は新カント派のそれとは異なる。また、「永遠の今」や「絶対無」という術語は西田哲学に由来する。