読書メモ:上山春平「絶対無の探究」(1970年)①第1節~第2節

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 上山春平は新京都学派と呼ばれるグループに属する思想家で、学際的な研究を通して独自の文明論・比較文化論に基づく思想を構築したことで知られる(その「独自の文明論・比較文化論」をどう評価すべきかという重大かつ厄介な問題が存在するわけだが、ここでは触れないことにする)。上山は『日本の土着思想』(1965年)で既に西田哲学を論じていたが、同書では日本思想史における西田哲学の意義を解明するに留まり、世界思想史におけるそれを論じるには至らなかった。今回取り上げる「絶対無の探究」(1972年)はその問題にまで考察が及んでいる。
 「絶対無の探究」は『日本の名著』の西田幾多郎の巻の解説として執筆された関係上、西田哲学を解説した箇所も含まれている。そのため、最初、私は上山独自の視点が出ている第1節と第5節に焦点を絞ってメモを取ろうとした。ところが、読み進めていくうちに解説部分にも上山独自の視点が含まれることが分かり、メモを取りながら論文全体を読むことになった次第である。
 なお、今回参照したのは『日本の名著47 西田幾多郎』の中公バックス版(1984年)である。

第1節:西田哲学の評価(7-20頁)

中江兆民「我が日本古より今に至る迄哲学無し」
現代の知識人の間も広く共有されている見解だが、この見解を論駁するのは非常に難しい。
上山による反論の試み
アウグスティヌストマス・アクィナスのような僧侶の思想を哲学と見なせるなら、空海道元親鸞の思想も哲学と見なせるはずである。
儒学倫理学の分野に属するもので、朱子学の系統に至っては自然哲学も展開されているのだから、儒学を哲学の枠外に追いやるのは不当である。
・そもそも中江はどれだけ道元親鸞の思想を知っていたのか。また、中江は「儒学は洋学に劣る:という先入見の下に儒学を評価していたのではないか。
仏教思想への無理解・偏見、儒学に対する否定的評価は今日の日本の知識人にも継承されている。
さらに言えば、井上哲次郎加藤弘之の哲学にも独創性を見出すことができる。
cf.『日本の土着思想』
「西田の思想が、日本の仏教思想史における独創の頂点をなすと思われる鎌倉仏教の遺産に根をおろしながら、現代の哲学的課題にたいするユニークな回答を示唆している」(10)

下村寅太郎が講演「西田哲学の歴史的意義」で開陳した西田哲学に対する評価は過褒以外の何物でもない。
「『善の研究』に触発されて哲学の道に入り、それ以来、西田の問題的をたえず念頭においてきた私のようなものにとって、西田にたいする評価は、肉親にたいする評価に似た複雑な反応をひきおこしがちなのである」(10)
西田哲学の存在は日本に独自の哲学がないという主張に対する有力な反証になり得る。

西田の思想のオリジナリティは、萌芽としてのそれであり、完成品としてのそれではあるまい*1、と私は思うのだ。私たちは、それをひとつのユニークな問題提起として受けとるべきなのであろう」(11)

西田が独力で西洋の論理学に匹敵する東洋の論理学を確立したという評価は行き過ぎである。西田は「日本文化の深層を形成する東アジア系の伝統思想にたいする共感によって鼓舞されながら、日本文化の表層を支配するのみならず、今日の人類文化の表層を支配する西部ユーラシア系の思想の骨格を形づくる論理に挑み、これと根本的に異質な論理を生みだそうとして、悪戦苦闘を」重ねたに過ぎない(11)。
その意味では、『善の研究』から『哲学論文集第七』に至るまでの全論文が「悪戦苦闘のドキュメント」だと言える。

西田には未知の領域に足を踏み入れる人間特有の孤独と不安がまとわりついていた。

「西田の示唆した課題を自分自身の課題としてとらえなおし、自分自身の流儀でその課題にとりくむことこそ、彼の思想に共感をおぼえるものにとって最もふさわしいふるまいであろう」(15)。この見地から言えば、西田の共感者たるに最も相応しいのは今西錦司である。
cf.『日本の名著』(中公新書)における今西錦司『生物の世界』の解説

以降では上山の知的自伝が述べられている。『善の研究』を読んだことをきっかけに、上山は哲学の道に足を踏み入れ、西田哲学→カントのカテゴリー論→パースへと関心を移していった。理論に明晰さ・判明さを求めてパースにたどり着いたとき、上山は西田哲学と疎遠になっていた。

第2節:『善の研究』(20-33頁)

善の研究』の草稿群の中に「哲学研究の必要」と題された断片が存在するが、そこで示された哲学観は西田の全著作を貫く哲学観だと言っても過言ではない。
善の研究』の頃の西田の思想は同書の第2章「実在」に尽くされていると言っても過言ではない。それどころか、第2章には全西田哲学のエッセンスがある(22)。「場所の論理」の萌芽も底に見られる(23)。
そのタイトルからすれば、「善」を扱う第3章が中心になって然るべきだが、同章は他の章に比べて独創性に乏しい。この章だけが論文として発表されなかったのは、西田自身も出来に自信を持っていなかったからではないか。

善の研究』第2章では実在の論理構造が「一の実在の分化発展」と捉えられるが、これは後の「場所の論理」の萌芽である(23)。

西田は純粋経験を個人を超えるものと見なし、それを個人的自我の根底に据えることで、独我論の根拠を失わせることに成功した。
実在を意識現象と捉えた場合、却って独我論に陥りやすいと思われるかもしれないが、西田は経験を能動的なものとみなすことでその罠を回避した。
独我論者のバークリーは経験を受動的なものとみなした。
善の研究』による「独我論の脱却」は倉田百三に大きな感激を与えた。その理由は「精神が堅い自我の殻から解き放たれて、全実在と一体となる宗教的体験への道がそこに開かれていることを直観したから」であろう(32)。

「一なるとともに多、多なるとともに一」や「統一があるから矛盾があり、矛盾があるから統一がある」という記述は後年の絶対矛盾的自己同一の萌芽である。

西田は『善の研究』において「個人の意識における現在の意識と過去の意識の関係を一即多にした多即一なる非連続の連続としてとらえると同時に、自分の意識と他人の意識との関係をも一即多にした多即一なる非連続の連続としてとらえる観点に到達した。こうして、自分の意識と他人の意識との連続の側面をとらえることのできない独我論を克服する論理的基礎が確立された。」(33)

*1:念のために付け加えると、下村は先の講演の中で「西田哲学が完成している」という趣旨のことは述べていない。