読書メモ:上山春平「絶対無の探究」(1970年)②第3節~第5節

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収録されている作品の関係上、上山の解説は『一般者の自覚的体系』までに留まっているが、可能な限りわかりやすく解説しているのが印象に残る。高坂正顕の西田哲学論と同じくらいの平明さがあるように思う。

第3節:西田の思想形成(33-56頁)

善の研究』で注目すべき点
・実在の論理構造が純粋経験の内的な分化として捉えられているが、これは後年の一般者の自己限定に通じる。
・理論的な考察が宗教的・実践的関心に支えられている。

西田がエリートコースから脱落したこと、約10年間座禅に励んだことは西田哲学の形成に大きな影響を与えた。

西田は第四高等学校在籍中の反抗的な態度を「青年の客気」と自省しているが、おそらくそれだけではない。進歩的な自由思想と旧藩ナショナリズムの影響があったはずである。
西田は加賀藩ゆかりの専門学校の家族的な校風を愛していたが、薩摩出身者が突如外部からやって来てそれを踏み荒らした。そうしたことも西田の反抗心を増大させたのであろう。

高校生の頃、西田は中江兆民由来の唯物論に触発されて「無神無霊魂論」を唱えていたが、公私の危機を脱した1897年頃の手紙では精神不滅論を説いている。
この移行は精神を自然科学的に捉えようとする「外側からの知的認識の立場」から、自己の内に働くものとしての精神を捉えようとする「宗教的な見地に近い内面的体験の立場」への移行と言える(52)。後者の立場は『善の研究』における純粋経験論と直接繋がるものである。

「西田は、実践上の要求としての「心の救」と、理論上の要求としての「思想の統一」を実現するための手がかりを、ともに座禅にもとめた」(56)

第4節:『善の研究』以後(56-76頁)

善の研究』に見られる西田の全思想を貫く共通項
・実在の直観的把握(純粋経験)が体系の中心に据えられている
・「直観的把握の背後にある統一力が、具体的で一般的なものとしてとらえられ、それがみずからの分化発展を通して、特殊化もしくは限定される過程、つまり「一般車の自己限定」とよばれるものが、実在の論理構造としてとらえられている」(60)
・宗教を中心に据え、学問や道徳をその周辺に配する

善の研究』から『自覚に於ける直観と反省』の移行は、直観を基礎とする立場から直観と反省の統一としての自覚を基礎とする立場への移行である。

善の研究』改版時に付された序文(1936年)を根拠に、西田哲学の発展段階を純粋経験の時代→自覚の時代→場所の時代...と解する論者が多い。
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自覚の立場と場所の立場は全くの別物ではない。場所の論理は自覚の立場を前提として成立するもので、自覚の立場は最後まで保持される。
また、『善の研究』以来の「一般者の自己限定」の思想は西田哲学を最初から最後まで貫いている。

以上を踏まえ、上山は西田哲学の時期区分を以下のように解する。

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1907年:「実在に就いて」(『善の研究』第2編の原型)
1912年:「論理の理解と数理の理解」
1926年:「場所」
1934年:「弁証法的一般者としての世界」
1946年:「場所的論理と宗教的世界観」

西田が『自覚に於ける直観と反省』でデデキントに注目したのは集合論に対する関心からではなく、その無限の概念に対する関心からである(71)。
「もともと、「場所の論理」というのは、自己代表的な自覚の体系を前提として、弁証法的な論理と形式論理を統合し、一般者の自己限定の過程の中に形式論理的な包摂関係を包むことによって成立しえたものなのであった」(72)
「場所の論理」とは「形式論理的包摂関係をこえた極限的主語(個物)と極限的述語(場所)の関係を、包摂関係そのものを成り立たせている関係としてとらえ、前者の直観的把握によって後者の反省的把握を基礎づけるという仕方で、「一般者の自己限定」としての実在の論理と、概念もしくは命題間の包摂関係を基本とする形式論理を統合しようとする展望をもった論理思想」である(76)。

『一般者の自覚的体系』においては、一般者の自己限定が判断的一般者、自覚的一般者、叡智的一般者の3つの層で捉えられているが、これは『善の研究』における実在の分化発展の構造(自然・精神・神の3層)の考察を再構成したものだと言える。

第5節:西田哲学の思想史的意義(77-85頁)

西田哲学の思想史的意義は「日本文化の深層を形成する東アジア系の伝統思想にたいする共感によって鼓舞されながら、日本文化の表層を支配するのみならず、今日の人類文化の表層を支配する西部ユーラシア系の思想の骨格を形づくる論理に挑み、これと根本的に異質な論理を生みだそう」としたことに尽きる。

「日本文化を世界文化の不可欠な一要素たらしめたいという願望が、それを通して、東洋文化西洋文化の相補的な把握を実現したいという願望とむすびつき、両文化の相補的な把握のために、東洋文化の根底にある独自な論理を究明するということが、みずからの思想的課題としてとらえられることになる」(79)。西田には東洋思想の可能性、日本文化の長所に対する確信があった。そこには参禅体験の影響もあるはずだ。

西田の日本文化に対する確信は、戦時中の夜郎自大ナショナリズムとは本来無縁のものであった。
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西田が「日本文化の特殊性を世界文化の普遍性の中に位置づけてとらえようとしたとき、近代ヨーロッパ文化をただちに普遍的原理として認めようとしなかった点に、対英米協調主義を基調とするインターナショナリズムとの分かれ道があった」。西田は西洋文化(西部ユーラシア系の文化)を評価していたが、それを暗黙の内に現代における世界文化・普遍的原理とみなす傾向には批判的だった(81)。
西田は「西洋文化を普遍的原理と見る通念に対して、西洋文化東洋文化の相補的把握を前提とする世界文化を普遍的原理と見る立場を対置した」(81)。

一般者の自己限定という発想は「ヘーゲルに由来するものであるが、それをテコにして、プラトンアリストテレスの伝統的な論理思想を克服しながら、「一般者の自己限定」の核に禅体験をふまえた直観をすえて、弁証法的論理のあるべき姿を追求する過程で、ヘーゲルの論理思想をも克服しなければならないことが明らかになった」のである(83-84)。

なお、上山自身も西田のように東洋と西洋を相補的とみなす見方を採用している。