読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第1編第3章

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今回取り上げる第1編第3章は哲学は精神分析の知見をどのように取り込むべきなのかという話題が扱われている。例によって、今回も『中村雄二郎著作集』第1巻に収録されているバージョンを参照した。

ちなみに、河合隼雄が初めてユングに関する単著(『ユング心理学入門』)を出したのは、1967年のことである。手引きになるような邦語文献がなかったにも拘らず、ユングの読解・受容に果敢にチャレンジしたことは注目すべきことのように思われる。

第3章:現代人と心の深層

第1節(45-50)

日本人にとって、無意識の問題は2つの側面を有する
①近代的な合理主義の自己脱皮の問題
組織や人間関係そのものがメカニズムとして物象化され、我々が外界に影響を与えるだけではなく、我々が外界から影響を受けるという受動的な側面が現われるようになった。また、物象化された組織の中で我々は集団化されるようになった。
この段階に至り、問題は意識だけでは十分に捉えられず、無意識の領域も考慮に入れる必要が出てきた。

②啓蒙的合理主義への反動の問題
日本は明治期と戦後の2度にわたって、意識的に西洋の合理主義を受容したが、その受容は西洋合理主義の合理的な側面に限られた。つまり、合理主義の非合理的な側面を無視してしまった。
情念的なものの無視は合理主義に対する反動を産み出す。明治以後の近代日本に繰り返し現われた欧化主義と国粋主義の悪循環もこれが原因である。

中村がいう無意識はフロイトのそれよりも広い意味の概念だが、無意識を扱う以上、フロイトを無視することはできない。

哲学・思想分野でフロイトの受容が進んでいないのは、フロイト精神分析学が胡散臭いと思われているからという理由に尽きるものではない。「フロイディズム自身、単なる学問である以上に、一個のトータルで完結した人間観であり」、「人間と社会に対する伝統的(あるいは正統的)な接近の仕方とかみ合わない」という理由もある(49)。

中村自身もかつては精神分析学を胡散臭いと思っていた。また、正統的な思想の影響を受けていたこともあって、非正統的な精神分析をどう扱うべきか捉えかねていた。
やがて、中村はランガーに触発され、無意識や快楽原理のような概念が「フロイト高度に自己完結的な体系のなかでのみ意味を持つのではなくて、そのおのおのが―むろん相互に関連を持ちつつ―十分に創造的な観念たりうる」と考えるようになった*1
このような考えに至り、中村はフロイトだけではなく、その周辺の精神分析家の成果をも積極的に受容できるようになった。

第2節(50-56頁)

「いまや無意識はフロイトのようにどちらかというと反社会的な、抑圧されるべきものとだけ考えるべきではなく、ユングとともに、そこに同時に<意識の永遠に創造的な母親>を認めねばなるまい。といってもそれは、逆に無意識の意識に対する一方的な優位を意味するものではなく、意識と無意識の間の正しい関係を、心、いや人間そのもののフィードバック的働きによって求めることである。」(51-52)

フロイトが指摘した自我に対する3つの脅威―外界の現実からの脅威、イドのリビドーからの脅威、超自我の厳格さによる脅威―のうち、デカルトの情念論で問題になっているのは「イドのリビドーからの脅威」だけである。
一方、パスカルの思想には「外界の現実からの脅威」と「超自我の厳格さによる脅威」が見られる*2。奇しくも、パスカルは近代的自我の挫折を体現した思想家である。

「あらゆる権威が価値観を前提とし、価値観とは共同体的なものであるという意味において、また、意識に対して無意識は退行的なものであり、イドと超自我はそれぞれ群衆的なものと共同体的なものに対応するという意味において、超自我は共同体的であり、コミュナルな意味においては社会的なものだ」という事実を考察すべきである(56)。
この事実によって、フロイト学説のフロイト左派的な改変が可能となる。

第3節(56-62頁)

人間が現実を把握・対処する方法は2つある。それは科学(意識的)と魔術(無意識的)である。
魔術は人間の手に余る危険に対処するための人間的な知恵である

ユングは科学的なものと魔術的なものを対比的に考えつつも、そこに「サイクルの一巡による両者の一致点」を見出したが、「<物象化>現象の進行にともなう新しい自然としての人工的世界の成立、それへの人間の組み込みという契機」を見落とした(62)。
上述の契機に注目することで、はじめて魔術的なものへの注目が現代的な意味を持つようになる。
「高度に機械化され、文明化された現代的環境はわれわれに、環境全体に対するたえざる心的緊張、あるいはむしろ拡散を強いることによって、ふたたび<危険な偶然>を見出し、また、機械化、文明化にともなう人間の新たなる集団化、組織化は、心理的投影の魔術的効果をひそかに復活させている」(62)

*1:後の西田哲学に対するアプローチ方法を思い起こさせる記述である。

*2:その根拠として挙げられているパスカルの断片を読むに、本当にパスカルはこの2つの脅威を感じていたのかという疑問が湧く。