読書メモ:村上陽一郎『科学史の逆遠近法 ルネサンスの再評価』(1982年):第2章

下村寅太郎ルネサンス研究を理解するには下村本人の著作だけではなく、他の論者の著作にも当たる必要があるのではないか。そうすることで、下村の独自性や限界が理解できるようになるはずだ。そういう考えから、ルネサンス研究の古典及び重要研究を読もうと思い立ったのは良かったが、ルネサンスに関する文献は邦語文献に限っても量が多く、全くの門外漢たる私には何が古典なのかすら分からないという状態に陥った。
しかし、幸いなことに、勁草書房工作舎が作成したルネサンス研究に関するブックガイドがネット上に存在していた。今回取り上げる村上陽一郎氏の『科学史の逆遠近法 ルネサンスの再評価』(1982年)はそこに掲載されていた本の1冊である。さしあたり、その方法論について述べられた第2章のメモ書きを作成しておく。
なお、今回参照したのは講談社学術文庫(1994年)のバージョンである。

第2章:方法論の問題(35-57頁)

前章で「今の地動説とコペルニクス説とを直線で繋ぎ、さらにコペルニクス説の前駆形態やその成立要因をその線の延長線上に探り当てることとは違う」という立場から科学の歴史を見つめ直すという課題が提起されたが(34)、本章ではその方法論について若干の考察がなされる。

古代や中世の科学が近代科学より劣るという見方、つまり、勝利者史観に対する反省はほとんどの歴史家によって共有されている。しかし、勝利者史観をどう克服するかという問題になると、見解が割れ始める。

遡及主義とは「時間の流れを過去に向って遡及して行くことによって、時間の流れに逆順な出来事の連鎖を造り、その連鎖を正順な時間の流れのなかに読み直すこと」で歴史を構成しようとすることであり、「勝利者史観を乗り超えようとする努力の先に現われてくる、ほとんど科学史(もしくは歴史)そのものに内在するディレンマとさえ言えるような種類の考え方」である(37-38)。
ポパーラカトシュの合理的再構成主義は遡及主義の典型であり、クーンのパラダイム論にも遡及主義的な態度が両面的ではあるものの存在する。

遡及主義の2つの欠陥
・科学理論が導き出された方法と同じものによってその祖型となる理論も生み出されたと考えてしまいがち。
・科学理論が知の全体において占める位置と、その祖型となる理論が知の全体において占めていた位置が同じだと考えてしまいがち。
※遡及主義による歴史記述が実際の歴史の展開と必ずしも一致しないからと言って、遡及主義による歴史記述が無意味になるということはない。実際の歴史を僭称しない限り、教育の場面における有効性は認められる。

フランセス・イエイツの一連の著作は勝利者史観だけではなく、遡及主義による歴史記述に対する鋭い批判をなしていると言える。
村上氏の『近代科学と聖俗革命』はイエイツと「後向きの立場」(反遡及主義)を共有している。しかし、イエイツとその取り巻きは科学革命期の科学者たちに対するヘルメス主義の影響を無際限に語るという傾向を見せており、それは「後向きの立場」の生きすぎである。

イエイツは遡及主義と反遡及主義が相互補完的なものであり、かつ、互いにすれ違う立場であるかのような表現をしている。これは不徹底である。
「私どもは、何よりもまず、当該の人物、当該の出来事、当該の科学理論などを、当該の時間において当該のそれらを包み込んでいる全体的な文脈のなかに定位し、把え切ることを目指しそれに徹すべき」である。「私どもは「前向き」でも「後向き」でもない、対象それ自体を全体的に見据えた第三の立場、言わば「正面向き」の立場を目指し、そこから出発すべき」である(48)。

正面向きの立場に対しては、歴史の一場面を静的・固定的なものとして取り出すだけに留まり、歴史のダイナミクスを見失わせるのではないかという危惧が予想されるが、それは妥当である。「静的に固定されたシルエットを何枚重ねても、時間の流れの上で、現実の過程が動きだしはしないからである」(49)。

正面向きの立場には根源的な難問も存する。それは歴史のなかから一場面を切り出すとき、どの場面を切り出すかを決める基準は何かという問題である。
それに対し、遡及主義(前向きの立場)はどの過去を切り出すべきかの基準がはっきりしている。つまり、取り出されるべき歴史的過去は歴史的現在によって規定される。
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「歴史は、過去から現在へと流れるのであって、過去の状態が現在の状態を決定することはあっても、現在が過去を決定する、などという奇妙なアナクロニズムが許されてよいはずがない」(51)。

「歴史における逆遠近法からすれば、現在の私どもの知の全体的状況を理解することよりは、歴史的に過去のある時間における知の全体的状況を理解することの方が、より多く可能であることも」あり得る(53)

「正面向きの立場」の2つの効用
現代の「正しい」理論から見れば「誤った理論」とされる理論Aがあるとする。Aを「正面向きの立場」から考察した場合、Aが「正しい」理論と関係を持たないとされているが故に、「正しい」理論のバイアスなしに、当時の知の全体的状況におけるAの位置を把握できるかもしれない。
この分析を通して、現代の私たちがおかれた全体的状況を解明するための糸口が見つかるかもしれない。さらには、その糸口を頼りに解明を進めたとき、現在の「正しい」理論とAの間に新しい関係を見出すことができるかもしれない。

分断され、あたかも時間の流れにおける「島」のごとく切り出された歴史的過去と私どもが出会うことのなかに、まさしく私どもは、一種の「文化摩擦」に相当する体験をすることになる」(55)。遡及主義において、「文化摩擦」を体験することは不可能である。
好事家的、骨董趣味であったとしても、過去のある状況を、それとして把握し得たとき、私どもは、自分自身を把握するための一つの鏡をそこに得たことになる」(55)。
私どもは過去の複合体として存在している。「とすれば、そうした複合体を形造る一つ一つが、現在から見て歴史的過去になったからこそ、私どもは、それらを同定することができる」(57)。
過去のある時代的局面を全体的文脈とともに切り出し、それを把握すること、つまり、「正面向き」にぶつかることこそ、歴史において最も重要なことである。