西田哲学を通して教育を見る際の留意点(個人史的メモ)

ファイルの整理をしていたところ、学生の頃に提出したと思しきレポートが発掘されたので、ここに公開してみたいと思う。今から見れば拙い文章・考察だが、私個人にとってはそれなりに意味を有している。というのも、この文章が京都学派について書いた初めての文章だからである。

西田哲学を通して教育を見る際の留意点

 西田幾多郎は処女作にあたる『善の研究』(1911年)から生前最後の完成論文である「場所的論理と宗教的世界観」(1945年)に至るまでの弛まぬ思索の中で様々な概念を生み出し、古今東西の思想に新たな解釈を施した。純粋経験、場所、絶対無、絶対矛盾的自己同一、逆対応などの諸概念は我々が人間を捉え直したり、より深い人間理解に到達したりするための手がかりとなり得るだろう。そうであるならば、教育や人間形成を捉え直すうえでも、西田哲学は十分な役割を果たすであろう 。
 しかし、西田哲学を通して教育を再考する上で避けて通れない問題がある。それは西田哲学の持つ観想性や神秘主義的傾向である 。西田哲学の持つこうした特質に関しては、田辺元三木清らが批判を行った。
 教育に関する理論は実践に結び付かなければならない。いかに壮大な体系を持つ理論を構築したとしても、神秘主義的であっては意味がない。神秘主義的な理論はその理論を読み解かんとする人間に何か窺い知れぬ深遠なものがあるのではないかと思わせるだろう。しかし、理論を実践に結び付けるにはその「窺い知れぬもの」を言語化して自分、乃至は実践家が理解できる形にする必要がある。
 教育という営みの中では、他者と他者が互いに影響し合ってお互いに自己変容を起こす。教えられる立場と教える立場が常に反転し得るのである。この意味において、教育は動的営みである。教育理論はこの動性を捉えるものでなければならない。故に、観想的であってはならないのである。
 本レポートでは田辺元が1930年に著わした論文「西田博士の教を仰ぐ」を手がかりとして、西田哲学の持つ観想性及び神秘主義的傾向にどう向き合えばよいのかを考察してみたいと思う。
まずは田辺が西田に対してどのような批判を行ったのかを確認してみたいと思う。

田辺元による批判

1930年、田辺元は『西田博士の教を仰ぐ』という論文を発表し、その年に出版された西田幾多郎の『一般者の自覚的体系』で展開された論を批判した。この論文において、田辺から西田に突きつけられた問いは3つある。
①絶対無の自覚の立場を最終到達点として哲学体系を組むことは哲学の宗教化・哲学の放棄につながるのではないか。
②絶対無の自覚の立場を土台とする哲学体系には現実の非合理性や反価値性を受け入れる余地がないのではないか。
③絶対無の自覚の立場からなされたカント哲学や現象学に対する批評は妥当なのか。
この3つの問いのうち、本レポートで扱う問題に関係があるのは①と②である。以下では、この2つの問いについて詳述していく。

哲学の宗教化

 田辺は『一般者の自覚的体系』が哲学史上に大きな意義を有することを認めつつも 、次のように主張する。
 「それの自己限定としての終極的なるノエシスより、更に抽象限定に由って、内的生命に裏付けられた広義の行為的一般者表現的一般者以下の諸段階の一般者と、それに於ける存在とが、その必然的なる内面的秩序に於いて了解せられる 」
 西田は絶対無の自覚(場所)を根底に据えた哲学体系を構築した。ところが、場所は自発的に場所自体を限定する能動的な概念ではない。場所ではない何かによって限定されてはじめて成立する概念である。そうした場所を哲学体系の根底に据えるということは定義されていない概念を根底に据えているのと同じことである。定義がなされていない場所という概念から諸段階の一般者と存在が理解されることになるのである。これでは諸段階の一般者と存在の理解まで不明瞭なものとなる。田辺はこれを「一種の発出論的構成」とみなし、「哲学それ自身の廃棄」につながると批判するのである 。
 田辺は自己を無にしてみるという絶対無の自覚が宗教的体験としては認められるべきものではあるが、哲学体系の原理として認められるべきではないと主張している 。田辺にとって宗教的体験とは特殊と普遍、ノエマノエシスなどの区別が消滅した完全に解消された境地での体験である。その一方、哲学の立場は「現実に立脚してその生ける地盤を保持」すべきものであった 。例えば、人間の生と死が一致するという事態は現実世界では起き得ないが、宗教的体験としては起きうるのである。現実には起こり得ない体験を土台に据えた体系は田辺にとっては宗教であり、哲学ではなかったのである。

現実の非合理性の軽視

 絶対無の自覚(場所)の立場に立つ西田哲学では、諸段階の一般者と存在は究極的には絶対無の場所に包まれることになる。それを受けたうえで、田辺は以下のように主張する。
「此様な立場 に立つならば、現実の非合理性乃至反価値性は全て自覚の抽象性、即ち見る自己が未だ絶対の無に至らざること、に帰因するのでなければならぬ。若し絶対無の自覚に達するならば、見る自己が完全に無に帰すると共に、一切が自己となり、そこに他なるもの外なるもの見られざるものとして非合理的といわるべきものは、無くなる筈である 」
 西田の立場に即して語るならば、現実世界に非合理的なものが存在するのは絶対無の自覚の境地に自己が達していないからである。自己が絶対無の自覚の境地に達した段階で現実世界における非合理は消滅してしまうのである。また、非合理の存在を認める余地もないのである。

まとめ

 田辺元は1932年の著書『ヘーゲル哲学と弁証法』の序文において「西田博士の教を仰ぐ」で展開した論が自身の誤解・浅薄な理解に基づくものであったと述べている 。確かにあの論文にはそう思わせる記述がある。例えば、田辺は絶対無の自覚を宗教的体験と同一視してしまっているが、西田は『一般者の自覚的体系』に収録された論文「叡知的世界」において絶対無の自覚は宗教的体験の反省であって、体験そのものではないと明言している 。
 そうではあるものの、「西田先生の教を仰ぐ」で提示された田辺の疑問点は西田哲学と向き合い、そこから教育理論を練り上げていくにあたって無視できないものがあろう。
「自己の内に自己を映す」「自己を無にする」などの西田の用語法を採用するのは問題ない。しかし、田辺も指摘したように、こうした用語法は神秘主義的・宗教的色彩を帯びたものであることは間違いない。「自己を無にする」とは具体的にどういう意味なのかを明確にして理論を組み上げていく必要がある。西田が哲学の宗教化を回避し得たとしても、西田哲学を受け取った我々が理論の宗教化を招いたならば意味はない 。西田も述べるように、「自己の体系から宗教を捏造してはいけない」のである。
 また、理論が人間及び現実の非合理性を含んだ形で展開しているかどうかにも細心の注意を払う必要がある。人間は常に合理的に判断して行動しているわけではない。理論の中で想定されている人間が合理的に過ぎる存在になっていたならば、その理論は現実と乖離したものになる。例えば、教育の営みの中では人間の間で葛藤が生じる。利害関係の対立のように葛藤が生じた原因が合理的に説明できるような葛藤ばかりではない。相手と気が合わなかったが故に葛藤が生じることがある。この場合、本人も何故相手と気が合わなかったのか合理的に説明できないことがある。そんな葛藤すらも包含するような理論を構築する必要がある。究極の到達目標を想定して、そこに到達したならば非合理の存在が抹消される理論であってはならないのである。