読書メモ:中村雄二郎『現代情念論』(1962年)第2編第6章

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中村雄二郎は「日本の哲学のあり方」について考察する文章を書いている。その時々の思想の流行を踏まえながら考察がなされているため、思想史的には興味深い文章に仕上がっているが、どれを読んでも批判点や結論にさしたる変わりはない。ただ、今回取り上げる『現代情念論』の第2編第6章「哲学の日本的錯覚と幻想」では、西田哲学に対して終始否定的な評価がなされている。中村の西田に対する関心は「共通感覚の発見」に至るまでの過程で徐々に深められたもので、哲学者としてのキャリアをスタートさせた時点ではさしたる関心を持っていなかった。本章はそれを裏付ける内容である。
今回も、1994年に出た講談社学術文庫版を参照している。

第2編第6章:哲学の日本的錯覚と幻想

第1節(114-118頁)

当時の哲学会にはデカンショ的な重苦しい雰囲気が漂っていた。
日本の「テツガク」に生活はあるのか、人々の生活と何らかの関係を有しているのか。
明治以降、近代日本はヨーロッパの技術文明を受容したが、それだけで技術文明を使いこなし、東西両文明を綜合したと錯覚した。あるいは、「西洋の技術文明(社会技術としての立法、行政、司法の諸制度の制定および運営を含めて)を日本的に結実させえたものと錯覚した」(116-117)。
明治の末年の時点で、日本の観念論哲学はこの錯覚を先取していたが、井上哲次郎西田幾多郎ですら錯覚の自覚はなかった
井上の『国民道徳概論』(1912年)は「以後の道徳教育界に与えた影響の大きさからいっても、かれの東西両洋にわたる該博な知識の(つまりは明治の体制思想の)総決算としても、単なる通俗書として片づけられる性質のものではない」(117)
井上による洋の東西の融合は外面的だったが、西田による洋の東西の融合は内面的なものであった。久野収ならば前者を顕教的、後者を密教的と評したであろう。

第2節(118-122頁)

東西文明の融合をなしたという錯覚は近代日本の制度が「要請」したものであるが、同時期、哲学が万学の王であるという幻想も知識人(特にテツガクシャ自身)において広く共有されていた。
前者の錯覚は敗戦によって錯覚であることが暴露されたが、後者の幻想は敗戦によって打ち破られることがなかった。

明治中期以降、ドイツ観念論が日本の哲学会で有力なものとなったが、その影響は完了や一般の知識人にも及んだ。
ドイツ観念論が「概念化する」(あるいは「哲学化する」)ことを通して、先進英仏文明を見渡す視点に立とうとしたのに対して、わが哲学者たちの多くは「概念化されたもの」(あるいは結果としての「哲学」)を通して、ヨーロッパ文明を眺めていたり、概念とは現実を概念化したものであることを忘れて恣意的な概念の積み木細工にうち興じて(?)いたに過ぎなかった」(120)
ドイツ観念論自体にも哲学を実体化する傾向があったが、日本ではその傾向に一層拍車がかかり、「哲学のための哲学」が形成されることになった。

「哲学が万学の王である」という幻想やその残滓はマルクス主義実存主義に見られる。「実存主義はえてして「万学の王」の幻滅あるいは「廃王コンプレックス」ともいうべきものがあるし、マルクス主義は血気さかんな「万学の王」幻想を誘発しやすい」(121)

「哲学が万学の王である」という幻想は哲学的思考の本質と相容れない。
パスカル「哲学を蔑視すること、それが哲学することだ」
哲学にあっては、否定を通しての自己還帰の運動、自己を問いなおし、出立点に立ちかえる運動そのものが、哲学の哲学たるゆえん」である(121)。哲学の学問としての特異性と曖昧さはここにある。
「ときにわれわれの重荷とも負担ともなるような伝統的哲学用語も、実は「学」としての哲学の厳密性のためというよりは、自由な立ちかえりのための途をきりひらくためであった、とみるべきではないか」(122)

第3節(122-125頁)

敗戦後の日本において、哲学は科学との比較においてその有効性や存在意味を問われている。日本の哲学者の多くが「哲学が万学の王である」という幻想に長らく安住していたことを思えば、この問いに向き合うことは必須である。
哲学はとうに「万学の王」ではない。哲学から自然科学や社会科学が既に分化している。論理学は既に哲学から自立しつつあり、社会心理学などによって倫理学も科学化されていくだろう。
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だからと言って、哲学は個別科学のうちに解体していくと考えるのは行き過ぎである。
それは科学がそのまま哲学化され、客体がそのまま主体化されるという現象であり、却って危機を悪化させることになる。

哲学は「実体的に無意味であり、つまり、ナンセンスであることを自覚することによって、はじめて、機能としての否定を通して自己還帰の運動が活発に行われる」(123)。
それ故、哲学の最大の敵は自己還帰の運動を失って硬直化した哲学自身、哲学を硬化させた哲学者の怠慢である

哲学が自己還帰の運動を失ったとき、哲学者は2つのタイプに分裂する。
「哲学しがみつき」型
自らの専門分野に固執する。その理論は精緻を極めたものになるが、外部の人間には容易に理解できないものとなる。弁証法を標榜する哲学がこうなることもあるが、それはナンセンスである。弁証法自体が自己還帰の運動を意識的に理論のなかに取り込んだものであるのだから。
「哲学三下り半」型
哲学の不毛さに愛想を尽かし、政治的実践や宗教、諸科学に移る。哲学が個別科学のなかに解体されるという論者はこのタイプである。

思想や理論、学説は記憶したり崇拝したりすべきものではなく、「疑いつつ自分の頭で再発見すべき」ものである(125)。
「経典主義・教条主義権威主義とはまさにそこを誤ったことによって生ずるものであり、そんなものは思想でも哲学でもない」

第4節(126-131頁)

「哲学的思考は自己を「否定を通しての自己還帰の運動」(機能)として定立するとき、まさにその「否定を通しての自己還帰の運動」によって実体をとりもどす方向へ赴く」(126)

日本の哲学には祖述的・解説的な研究はあるが、「共通の問題意識の上に立った、自己の全存在を賭けての思索」はほぼない。失敗した思索は哲学の厚みをもたらし、成功した思索を支えるものだが、日本にはそれが欠如している。
共通の問題意識が欠如しているのは、日本の哲学が「生きた現実の問題」を回避しているからである。

上山春平は共通の問題意識になり得るものとして「日本近代哲学史研究」と「論理学」を挙げているが、中村は「日本人の思想と論理」を挙げる。

「哲学や思想が自立性を獲得し、エネルギーをチャージするためには、認識の眼を曇らさないことによって、状況との対応(順応ではない)が可能な主体を鍛え上げるとともに、思想伝統の再発見あるいは伝統思想との強烈な対決が必要である」(129)
かつて、梅原猛は原佑の学会報告「気分―人間学的序説」に噛みつき、ハイデガーに依拠するばかりで自分で哲学するという姿勢がないと批判した。

「日本人の思想と論理」を共通の問題意識とするメリット
マルクス主義
→他の立場からの批判に身をさらすことで、日本の唯物論的伝統を確認する機会となる
実存主義
→実存という概念が日本的心情を扱う際にどれだけ有効かを検証することができ、分析哲学からの批判に自らの理論がどこまで耐えられるのかを知る機会になる
分析哲学
→これまで具体的な成果を上げていないが、これを機に実際の効力と限界を示すことができる。また、日本語の特殊性についても考察がなされるだろう。
プラグマティス
→平板だった自らの視座を立体化・深化させる機会となる
哲学史家・思想史家
→歴史的視点に体系的視点を導入し、編年的な歴史記述を反省する機会となる

日本の哲学者たちが「日本人の思想と論理」を共通の問題意識として討議を行うことで、「われわれが日本人として、非日本的な方法を通して自己の思想伝統を知ることになり」、「哲学の各立場、各方法が共通の問題意識のなかで、他の立場、他の方法の批判を通して、自己を鍛え上げて行く」ことになる(130)。