鈴木亨氏による中村雄二郎評(メモ)

近年、東京大学を拠点に独自の哲学を構築しようとした人々を総称する「東京学派」という概念が提唱されている。「南原繁廣松渉大森荘蔵坂部恵が同じ学派に属するとして、その4人にどのような共通点があるのか」とか「京都学派のように、東京学派を知的ネットワークとして定義するにしても、この4人に相互影響関係を見出すことができるのか」、「京都大学東京大学で教鞭をとった和辻哲郎はどのように位置づけられるのか」などのような疑問はあるにせよ、京都学派以降の日本哲学に関する研究が盛り上がる気配を見せていることは大いに歓迎すべき傾向だと思われる。
しかし、東京学派という概念を以てしても、取り残されてしまう哲学者が少なからずいる。今回のメモ書きで取り上げる中村雄二郎鈴木亨氏もそれに該当する。中村は明治大学、鈴木氏は大阪経済大学に職を得ていたので、東京学派には該当しないだろう。そうなると、この両名をどうやって取り上げたらよいのかという難問が存するわけだが、手掛かりになりそうなものはある。
鈴木亨氏は1993年に出た『中村雄二郎著作集』第9巻の月報に「中村さんとの関わりを思う」という文章を寄稿しているが、短いながらも示唆に富む文章である。少なくとも、中村や鈴木氏の哲学をどう扱うべきかの手掛かりにはなると思う。

「中村さんとの関わりを思う」抜粋+メモ

「中村氏と私の思想の型はほとんど対蹠的であって、私があくまで原理的、体系的に思想を展開しようとするのに対して、氏は現在の極めて広い哲学以外の領域と具体的に関わりながら、それらの成果を自分の思想の中に取り込んでゆく型である」(1)
→鈴木氏の『西田幾多郎の世界』と中村の『西田幾多郎』『西田哲学の脱構築』を一読したものであれば、この対比が的を射ていることがわかる。最終的に、氏は「存在者逆接空」という根本概念を基礎に据えた哲学体系を構築するに至るが*1、中村はある一つの根本概念を以て種々の物事を基礎づけるないしは説明していくという哲学を構築することはなかった。
なお、後年、中村は「早くから体系的な思考をめざす人たちもいるけれど、それは、私のめざす途ではなかった。思考の体系化というようなものは、むしろ<分散化>を通して、次第に、またおのずと形づくられるものだと、思っていた」と述べている*2

「日本当代を代表する優れた哲学者の一人であることは間違いない」
→このような認識はどこまで広く共有されているものなのか。「中村は臨床というテーマに着目した最初期の日本の哲学者である」という事実は多くの人の認めるところだろうが、中村の哲学に京都学派や東京学派の哲学ほどのポテンシャルがあるという主張にはどれくらいの人が同意するだろうか?


脱構築といって現代思想の多くは既存の体系を拒否し、解体作業を中心とするのだが、中村氏の優れたところは、単に解体し、否定するのではなく、そこから新たな具体的現実に見合う新しい概念を見付け出すところが、従来の単なる脱構築者とはまるで異なる優れた点である」(2)
→中村がいう「脱構築」が何を意味するのか、それはデリダ脱構築とどう違うのかという問題はあるにせよ、中村の脱構築は単なる解体ではない。例えば西田哲学論を見ても、西田哲学の体系に沿うのではなく、自らの「問題群」に即す形で西田哲学を論じている。しかし、それは単に西田哲学の体系の解体を企図したものではなく、西田哲学のポテンシャルを引き出すためのものであった。中村は絶対矛盾的自己同一や行為的直観のような西田独自の述語を「問題群」に引き寄せて読解することで、個々の問題と関わりのある(当時の)現代思想との繋がりを見出すことに成功したと言える。つまり、中村は内に閉じていた西田哲学を外部に向かって開いたのである*3

「かつて「思想のベスト・セラーを作り出す男」と評されたこの人の思想はあくまで華やかであり、私の地味で抽象的な体系とはまるで相反しながら、どこかで相補強しあっているののであろうか」
→京都学派研究においても、「華やかな」西田や田辺に注目が集まる一方で、経験や身体などの日常語を術語とした三宅剛一の「地味な」哲学には注目が集まらない傾向にある。しかし、「華やか」な哲学も「地味な」哲学の緻密かつ堅実な研究を多く参照することで生まれたものであり、「地味な」哲学も「華やか」な哲学の影響を受ける。「華やか」なものだけ見たのでは片手落ちなのだろう。

「常に新しい現実に対応し、それを包括する思想が展開してこその京都学派なのである。ただ西田や田辺や久松を単に解釈するだけならば、それがいかに精緻に為されたとしても、それは京都学派でもなんでもない。ただ京都大学出身者の集団であるに過ぎない。それにしても中村氏の二冊の西田哲学論に対して拮抗するだけのものをほとんど持たない幻の京都学派はいかにも淋しいことである」
→何とも痛烈な文章である。1993年の時点で大橋良介氏の『西田哲学の世界』はまだ世に出ていないが、上田閑照氏の『場所 二重世界内存在』や辻村公一の「有の問と絶対無」は公刊されている。それでもこのような主張が出てくるのかと思わずにはおれない。
上で引用した主張に同意するかは脇に置くとして、中村も鈴木氏も西田哲学を踏まえて「常に新しい現実に対応し、それを包括する思想」を展開したのだから、両名は京都学派の流れをくむ哲学者として位置づけられるのではないか。

「氏が難関に逢着するとすれば、それは宗教の問題であろう。氏は平常心や平常底について『西田哲学への問い』で触れていられるが、十分に意をつくしているとは言いがたい(中略)。しかしこの問題は容易ではない。氏がこの問題を乗り越えられるとすれば、世界でも一級の思想家になるだろう。しかしこれはもって生れた資質にもよることであろう」(3)
→この箇所を読んだだけでは、鈴木氏が何に不満を抱いているのか具体的に知ることはできない。ただ、中村の宗教論に対しては「宗教の問題を扱いながら、宗教の内側には入らずに、外側から見ている」という批判があったようだ*4。宗教の内側に入らず―中村の言葉を借りれば「一挙に絶対に到達するのではなく」―に宗教を論じるとどのような問題があるのであろうか。

 

*1:そこまでの鈴木哲学の歩みに関しては、喜多源典氏の論文「鈴木亨の「存在者逆接空」の哲学とその射程」を参照のこと

*2:『述語的世界と制度』359頁, 1997年

*3:奇怪な文体と術語のために、西田哲学はそれを専門としない者にとって容易に理解できない哲学、つまり、閉じた世界になっている。門外漢にとって理解が難しいという性質はどの哲学にも多かれ少なかれ存するが、西田哲学の場合はそれが特に強く出ている。そこで、中村は西田哲学の重要概念を自分にとって重要な問題と結びつけ、あえて西田哲学の体系から距離をとるというアプローチを採用した。例えば、純粋経験は自己や経験という問題に結び付けられ、小林秀雄森有正の経験論、ユングの自己論と繋げられる。こうすることで、西田哲学の現代における意義を考察できるようになり、他の思想との対話も可能になる

*4:中村雄二郎『問題群 哲学の贈りもの』著作集第9巻279頁, 1988年