読書メモ:中村雄二郎『哲学入門 生き方の確実な基礎』(1967年)はじめに+序論Ⅰ

 

中村雄二郎は1967年に中公新書の1冊として『哲学入門 生き方の確実な基礎』を世に出した。この時期の中村は制度論と情念論の統合というテーマと格闘していたが、まだ解決の糸口を見つけられていなかった*1。『哲学入門』は中村にとってのいわば「悪戦苦闘のドキュメント」の1つだと言える。中村自身も同書を「気持ちの余裕がまだ私になく、自分の思いをあれもこれもとしゃにむに書き込んだ」「読者のことなどお構いなしに自分のために書いている」などと評している*2。後年の中村の著作に比べると読みにくい作品ではあるが、中村の思索の歩みを追う上で外せない著作なので、いつものようにメモを取りながら読んでいくことにする。
なお、今回取り上げる「はじめに」は新書版に収録されているものを、序論Ⅰは『中村雄二郎著作集』第4巻に収録されているバージョンを参照した。

はじめに(i-iii頁)

『哲学入門』は中村が「これまで「哲学」のなかで、また「哲学」をとおして考えてきたこと、学んできたことの要点を、自分自身のなかで確認しながら、できるだけ整理して組織化し、それをとおして、「哲学」とはなにか、あるいはむしろ、「哲学的に考える」とはどういうことなのか、をあらためて問いなおした」著作である(i)*3

哲学の定義が多様であることと哲学が普遍性を目指していることは矛盾しない。なぜなら「普遍性をめざすということは、独善的に自己の立場の絶対性を主張することではなくて、たえず自己の立場を問いなおすことであり、またそれをとおして、自己の立場を鍛えあげていくことだからである」。
問いなおしを不毛なものにしないためには、問いなおしを人間の具体的な活動の諸領域の中で展開する必要がある。

中村が取り上げてきた4つの問題
・自然科学および社会科学と人間の問題
・個人的情念および社会的情念と美意識の問題
・歴史的現実と集団生活が生み出す「第二の自然」としての制度の問題
・思考や精神のあり方そのものとしての対話・論争の問題

『哲学入門』は哲学入門ではなく、これまでの中村哲学の総まとめの書であり、これからの中村哲学の序説とも言うべき本である

序論Ⅰ:哲学の再発見

第1節:生き方の確実な基礎(281-284頁)

我々は「生きがい」を求めているが、その「生きがい」は社会の価値観・価値基準に即して有意義であるとされる。通常、我々はこのことを意識していないが、社会の価値観・価値基準が動揺し始めると「生きがい」を意識せざるを得なくなる。また、生きがいに物足りなさや空しさを感じたときも、「生きがい」を意識することになる。
哲学を求めるとは「できるだけ確実な基礎の上にのっとった考え方や生き方を求め、手に入れようとすること」だと言える(282)。
生き方の確実な基礎を求めるとき、それまで自明とされていたものをも問い直す必要があるが、それは「意欲的な思考と大いなる生命力のあらわれでなければならない」。懐疑のための懐疑なぞではない。

我々の生き方・考え方を保証する確実性は2つの方向に求められる。その2つとは事物・事実の認識に関する確実性と我々の考え方や生き方に確信を与える確実性であるが、不幸なことに、この2つはなかなか一致しない。
2つの確実性を一致させるには「事実認識や知識を、自己のうちに統一性をもった人生観、世界観たらしめる」必要がある(283)。生きている人間であれば程度の差こそあれど、誰もがそうした努力をしている。
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ただ生きるのではなく、よく生きるにはこうした努力を自覚的かつ厳密に行う必要がある。

第2節:フィジックスとメタ・フィジックス(284-292頁)

哲学を求めることが確実な基礎の上に則った考え方や生き方を求めることであるならば、哲学が特に強く求められる時代とそうではない時代が存在することになる。

・戦前から戦中にかけて、日本の主流哲学が戦争を肯定する役割を担い、悪しき観念論に堕したことへの強い反省
イデオロギー批判と<科学>性を標榜するマルクス主義的な<社会科学>の隆盛
・戦後、日本の哲学者は海外の哲学を紹介することに忙殺された
以上3つのために、日本の哲学は十分に深化・成熟することができなかった。

哲学が形骸化するのは、哲学がその内部に閉じこもって自己目的化するためである。それを回避するために、社会諸科学によってもたらされる多くの具体的データや我々が生きる現実に身をさらすことによって、哲学は鍛えなおされるべきである。
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哲学が思想へと拡散し、それと同時期に社会諸科学が隆盛したことは素材主義や<社会科学>の教条化をもたらし、原理的な究明や前提への問い直しを疎かにさせた。

中村自身は「<哲学とはなにか>というようなことをあまり厳密には考えずに、ただ<人間の問題>への関心と、自分自身の考え方や生き方の基礎づけのために、もっとも自由な思考の領域として哲学という道を選んだ。人間と自分の問題について、枠にとらわれずにどのような角度から考えてもいいもの、と自分で勝手に考えることにした」(286)

戦前から戦中にかけて、中村は物理学にこそ最も確実な心理があると考え、物理学を専攻していた。怪しげな思想が流行していた当時において、物理学がもたらす自然の心理は唯一信頼できる心の支えであった。
敗戦後、人々の価値観は一気に変化した。そんな「不気味であり、奇怪な光景」が中村に与えた衝撃は大きく、選考を物理学から哲学に変更するに至った。「自己の言動に責任をもつべき学者や知識人たちの、あまりの変わり身の早さ」に驚きを禁じ得なかったという(286-287)。
しかも、その急な変化は敗戦によってやむなく起こったというよりも、自発的に積極的に行われたと中村の目には映った。

中村の思索の歩みは「必ずしも、わが国の哲学・思想界の歩みに沿ってきたわけではない。私には天の邪鬼的なところがあるようだし、天の邪鬼的なものは哲学的精神に全く無縁だとも思わないので、一人で自分の道を、それもまっしぐらにではなく、ところどころで寄り道をしながら、歩いてきた」と言える(288)。

中村の思索の歩みと戦後日本の思想界の動向との間には決定的に食い違う点が一つある。
終戦後、日本の思想界は観念論や形而上学を目の仇にし、<科学>が唯一の真理であるかのように扱われた。「戦争中の<事物の論理>に対する蔑視および極端な精神主義への反省の結果であるとも言えようが、事実は、反省というよりは、単なる裏がえしだったことが多い」
中村はこうした傾向をフィジックス主義と呼ぶ。
戦後の日本の思想界では、マルクス主義プラグマティズムどころか実存主義までもがフィジックス主義の中で受容された。
哲学は「事物についての、より論理化され概念化された原理的思考であるのに対して、思想はもっと素材やデータに即し、そこにあるさまざまな問題や意味を思いめぐらす志向である」(289)。フィジックス主義の流れの中で、哲学より思想という語が好んで使用されたのはそのためである。
実証、データ、素材などが意味や秩序を与えられないまま氾濫するとき、そこでは物事の意味が希薄になり、もののけじめが曖昧になる。

再び哲学を求める傾向が表れたのは、物事の意味やけじめ、秩序が強く求められるようになったからであろう。それも「教条的に外から与えられたものではなく、自分自身で考えることなしには、自分の<意味>や<秩序>にならないことに気づかれるようになった」(289-290)。

物事の意味や秩序などは、フィジックスに即しつつ、しかもなんらかの意味で、フィジックスを超えたところに立たないかぎり、これを与えることも考えることもできないし、物事について原理的かつ自由に考えるということもそういう地点に立たなければ不可能である」(290)
それ故、中村は<哲学>とは<形而上学>であると主張するが、これは戦後の日本の思想界における形而上学観とは大きく異なるものである。

実証主義者や弁証法の立場に立つ論者は形而上学を抽象的・思弁的と批判するが、元々、形而上学は現実の全体的な把握を目指したものであったはずである。
形而上学がいかなるものであるかは、基礎としての自然あるいは自然学(科学)からの<超越>の仕方にこそある」(291-292)
形而上学が科学との結びつきを失う形で科学を<超越>するならば、思弁的かつ独断的なものとなる。一方、形而上学が自然や科学に直接拘束されるとき、<超越>というものはなくなってしまう。
形而上学は自然や科学と結びつきつつ断絶しているものだと言える。

また、形而上学は<創造的観念>を駆使するものであり、「あたかも光の当たらないうちは姿をあらわさなかった眼前の存在を、くっきり照らし出す光のようなものとしての意味を持っている」(292)

第3節:絶えざる自己還帰(293-296頁)

今日の日本の哲学界・思想界において<哲学>は再発見されるべき時期に来ていると言えるが、そもそも<再発見>は哲学本来の機能を示すものである。科学は<発見>の機能を担い、哲学は<再発見>の機能を担う。
今日、科学は自然や社会の問題どころか人間の問題をも扱うようになった。ここに至り、哲学はそれが扱うべき固有の領域を喪失したといっても良い。
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それは哲学にとって必ずしも不都合なことではない。「哲学はまさに根本からその存在意味を問いなおされ」、「それをとおして、かえって、新しい意味での復権の可能性が見出されるからである」(294)。
哲学は「ある特定の対象領域を持つのでなく、その意味で実体的なものでなく、機能的あるいはむしろ運動的なものである」。古来より、優れた思想家や哲学者はそのこと知っていたし、少なくとも体現していた。
cf.パスカル「哲学を蔑視すること、それが哲学することだ」

諸科学・芸術・宗教において「既成の在り方の否定を通した自己の問い直し」が行われるのは、別の何かを目的としてのことだが、哲学においてはそれ自体が目的となる。
哲学の哲学たるゆえんは「否定をとおしての自己還帰の運動、自己を問いなおし、出立点に立ちかえる運動そのもの」にあり、ここに哲学の分野としての曖昧さ・特異性がある(295)。

哲学や思想、理論や学説は記憶したり崇拝したりすべきものではなく、疑いつつ絶えず自分の頭で再発見されるべきものである教条主義、経典主義、権威主義は思想や哲学ではない。

 

 

*1:翌年、中村は情念論と制度論を統合するカギとしてソシュールらによる構造主義の言語論に注目するようになるが、構造主義の緻密な言語論を自己の哲学に組みこむことは容易ではなかったらしく、理論的にも精神的にも追い込まれていった。この難問は「共通感覚の発見」によって「解決」されることになるが、それについては後日取り上げたい。

*2:中村雄二郎著作集』第4巻367頁

*3:中村は後年の『述語集』(1984年)や『問題群』(1988年)で「哲学の知とされるものの中で、世間の人々に広く届けるべきものは何か、そしてそれをどのように届けるべきか」という問題に向き合うことになるが、この記述からわかるように、『哲学入門』執筆時の中村にそのような問題意識はなかったと思われる。