読書メモ:中村雄二郎「現代思想と西田幾多郎」(1985年)

1985年6月15日、中村雄二郎学習院大学で開催された「西田幾多郎博士記念講演会」で講演を行った。その記録に加筆・修正を施したものが今回取り上げる「現代思想西田幾多郎」である。中村の西田哲学論の概略を示す論文であり、「問題群としての西田幾多郎」(1983年)よりもまとまっているため、中村雄二郎による西田哲学受容というテーマに関心がある人が最初に読むべき論文だと言えると思う。

なお、今回参照したのは『中村雄二郎著作集』第7巻(1993年)に収録されているバージョンである。

現代思想西田幾多郎

はじめに(197-199頁)

上田閑照氏は「ご自身が禅についての専門家でもあり、接近の仕方として西田に即して内在的に問題をとらえ深めようとこれまでもなさってきている。それに対して私のほうは、西田哲学をあえて外側からとらえようとしてきました。<外側>からなどというと外在的というか恣意的というか、勝手に西田哲学をとらえる態度だと考えられそうですが、そうではないのです。この場合、<外側>からというのは、西田哲学を気になる<問題群>として持ちつづけて、それとの対話をつづける」ということである(197)。

西田の術語をそのまま使用して西田哲学を論じるだけでは、西田哲学を真に論じたことにはならないのではないか。西田哲学を真に論じるには、西田の術語を超えていく必要がある。

この講演で、中村は「現代思想・現代哲学の主要なポイントを考えていくとおのずと西田哲学的な問題に出会う」というアプローチを採用している。これは西田哲学を脱中心化して捉えるためである。

第1節:<西田-三木問題>(199-203頁)

表題にある現代思想とは「流行現象としての現代の諸思想のことではなくて、それらの底におのずと露わにされてきた知の新しい地平、哲学の新しい地平」のことである(199)。

投獄直前、三木清は「東洋的現実主義の完成としての西田哲学」と対決し、将来の新しい日本の哲学を構築しようとしていた。
今振り返るに、三木のこの姿勢は日本の哲学界に対する遺言ともいうべきものだが、日本の哲学界はそれに十分応答してこなかった。「このような日本人の態度は、およそ哲学的には自殺的な行為に近い。自分自身の過去を無視し忘れて、それと正当に向かい合うことをしないから」である(201)。

情念論や制度論について思索を進めていくうちに、中村は三木の『構想力の論理』の背後にあった西田哲学の問題の大きさに気が付いた。中村と西田は考えの上でずれる点も多かったが、中村はそのズレを性急に解消しようとはしなかった。

「かつて第二次大戦前の昭和初年・昭和10年代にあれほど広くかつ深く日本人の心をとらえた西田哲学を十分な検討もしないで、あたかも問題が解消したように扱うのは、自分たち自身を冒涜するものだと言わざるをえないのですが、それとともに勿体ないのは、日本人の自己認識の源泉を見棄てているのに気がつかないことです。しかもその自己認識は、それだけにとどまらず、さらに、普遍的な知に繋がるはずです。だから、西田哲学の検討を怠るのは哲学上のサボタージュにさえなる」(202)

当初、中村は西田哲学における制度論の不在に不満を覚えていたが、制度論を通して西田哲学を見直すことができた。
西田哲学を見直す際、中村は「西田哲学の全体を一度解体した上で、それをふたたび構築する」というアプローチを採用した。これは脱構築に近い。
中村の脱構築ニーチェハイデガーの系譜に属するものである。広い意味の脱構築デリダの専売特許ではない。

第2節:知の新しい地平(203-209頁)

現代思想のポイントの1つ目は<反哲学>である。この語は西洋哲学の伝統の中にプラトン形而上学の支配が隠されていることを告発し、それを乗り越えようとしたフーコー(出来事としての言説)、デリダ(根元的言語の自由な働き)、ドゥルーズ(オリジナルとコピーという対立の否定、および差異)の立場のことを指す。
この3人は「同一性にもとづく概念的真理に代わって、差異性にもとづくじゆうな言語表現を重視している」という共通項を有する(204)。

2つ目は深層的人間の発見である。アリエスによる子供の「発見」、フーコーによる狂人の「発見」、レヴィ=ストロースによる未開人の「発見」を総称していう。これは近代社会の内部と外部で固定化された人間(子供)あるいは見捨てられた人間(未開人と狂人)の発見である。
この3つを深層的人間と呼ぶのは、彼らの生が無意識や身体性を強く帯びているからである。
中村は第4の深層的人間として女性を取り上げる。女性ないしは女性原理を取り上げた先駆者としてユングノイマンが存在するが、中村は2人のように女性を単体で取り上げるのではなく、女性を他の3種の深層的人間と結びつけた。
デカルトの言うところの人間によって代表される近代人の典型、理性的人間(男性)を相対化しようとし、深層的人間をとらえていくと、女性の存在を考えざるをえない」(207)

現代思想のポイントの3つ目は<非体系的>な知の積極的評価である。<非体系的>な知の典型はグレゴリー・ベイトソンである。
構造主義以前・以後で知の在り方は大きく変化した。構造主義以前は知の体系化が志向されていたが、構造主義以後は知の脱中心化(絶えず探求し続ける知)が志向されている。この変化は原理的かつ文明論的な意味を有する。

ベイトソンの理論は4つの深層的人間すべてを射程に収めるものである。
ベイトソンの仕事は「一見ばらばらなようにみえながらも、実は緊密につながっているんです。ただそのつながり方が、体系的な全体化によるのではなくて、もっと別な、<通底>ともいうべきものによっている。つまり、個々の問題を掘り下げていくときにおのずと出会う結びつき」のことである(209)。

第3節:言語・身体・場所(209-214頁)

西田の思索は体系的なものからはみ出すようなものであったが、西田自身はそのことを十分に自覚しておらず、体系的な哲学を構築しようとしていた。しかも、西田哲学の解釈者や祖述者までもが、西田哲学を体系的な哲学として強引に理解しようとした。

そうした従来の解釈に対し、中村は西田哲学の基本性格を反哲学的と規定する。
西田幾多郎が自分では意図も意識もせずに、その哲学がおのずと―四十年以上もあとになって、知の形態として明らかになった―<反哲学>に近づいた」(211)

現代思想においては、言語・身体・場所が注目されているが、この3つは西田哲学においても重要な意味を持っている。
※西田哲学でいう「場所」は究極的には全てを包む無の場所を意味するが、空間的な場所と全く関係がない概念ではない。

一見すると、西田哲学は言語よりも概念・論理を重視していたように思える。それどころか「包摂関係その他、形式論理の主要な考え方から引き出せるものはすべて引き出しているようなところもある」(213)
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中村は「西田の論文のなかに出てくる諸概念の説明を要約しようとして試みながらうまくいかないで往生した経験」から、西田哲学が概念的・論理的であるというよりもむしろ、言語的であるという確信を得た。
西田の書くものの独特の晦渋さは、一方で論理化・概念化しにくいものを論理化・概念化していながら、と同時に他方で、西田自身の意図をこえて言語の差異化、差異の戯れが活発に行われているためだと思う」(214)

第4節:通底する<深層の知>(214-218頁)

西田哲学と特に深くかかわる深層的人間は、狂人と女性(狂気と女性原理)である。
cf木村敏分裂病現象学』及び上山春平の「凹型の思想」
「私たち人間は誰でも心の深層に狂気を宿しており、そういう心の深層に、西田哲学は独自の方法で近づきえた」(215)
「西田哲学は表面的にはあくまで論理主義のかたちをとりながら、パトス的・感性的・無意識的側面を少なからず持っており、そのために日本の哲学には珍しく創造的でありえたのではないか」(216)

西田哲学は「もの、ディテール、領域などのそれぞれに即して考え、探求していく」という現象学的な方法を採用しており、内面世界や深層のリアリティを見事に探り当てている一方、言語表現の在り方としては林達夫が言う「エッセー的性格」を帯びている。

第5節:世界の場のなかで(218-)

中村が西田哲学と現代思想を関連させて考察しているのは、「<西田-三木問題>を日本の現代思想・現代哲学の問題として生き返らせるため」である(219)。}
敢えてフランス語で西田哲学を論じたのも、日本人にしか分からない議論は日本の現代哲学の名に値しないという思いがあったからである

西田哲学の鍵概念の中で、中村が特に関心を抱いたのは行為的直観である。行為的直観はケネス・バークがいう<行為・受苦・認識>と結びつきつつ、身体性を帯びた相互行為を考える際に大きな手掛かりとなる概念である。
<行為的直観>のわかりにくさは、演劇におけるパトス的行動というもののわかりにくさ」である(222)。

「西田哲学の含む諸問題は、それがきわめて根本的、本質的であるために、われわれが十分検討して開かれたかたちで出すなら、人類の共通な哲学的財産になりうる可能性がある」(223)

おわりに(224-226頁)

 1985年の時点で、「西田哲学が有する射程はどこまでなのか」という問題は中村の中で未解決の状態にあった。

ヘーゲル的な弁証法は「現実界、表層的なレヴェルにできるだけ即しながら、深層のリアリティをとりこみ、イメージ的全体性を言述的に―言語論理的に―とらえた方法」だが、このやり方では深層のリアリティに十分接近できない(224-225)。
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この限界を突破しようとすると、弁証法は言述的論理ではなくなってしまう。「西田哲学はこれまでにあまりなかった深層のリアリティの探究を場所的弁証法(絶対無の弁証法)によって企てたわけですが、それはすでに弁証法論理ではありえない」(225)
さらに言えば、キルケゴールの質的弁証法やバルトの弁証法的神学も弁証法論理ではない*1

この問題を解く2つの鍵
弁証法に関わる言語の様々な形態を明らかにする
・表層の知と深層の知の新しい結び付け方を発見する。

*1:田辺元の絶対弁証法・「死の弁証法」はどうなるのだろうか