読書メモ:野家啓一『物語の哲学』(2005年増補)序

 西田幾多郎田辺元ら京都学派の哲学者たちにとって、歴史が重要な問題であったことは今更言うまでもあるまい。下村寅太郎高坂正顕に至っては生涯を貫く問題であった。ところで、彼らが歴史をどう理解していたかという問題から進み、彼らが展開した歴史哲学のアクチュアリティとか現代的意義を論じようとする場合、ある大きな問題が浮上してくる。それは彼らの歴史哲学が物語論を踏まえていないという問題である。今日では、歴史哲学は物語論を抜きに展開しえないとされているそうだが、物語論が出てくる以前に亡くなった西田や田辺は勿論、それ以降も生きた西谷啓治や下村ですら、物語論を踏まえることなく(少なくとも彼らの著作の中に物語論を参照した形跡はない)歴史を論じている。
 上で述べた問題について自分なりの見解を持ちたいと思って早5年以上が経過してしまったわけだが、未だに本格的に取り組む準備ができていない。また、他の事柄(中村雄二郎の哲学など)に関心が向いていることもあって、今後も手を付けられる余裕が出てきそうにない。ただ、物語論について基礎的なことを抑えることくらいはしたいと思い、野家啓一氏の『物語の哲学』(原著出版年:1996年、増補新版:2005年)をゆっくり読み進めようと思った次第である。
 なお、今後読んでいくのは2005年に岩波現代文庫として出版された増補新版の方である。

序:「歴史の終焉」と物語の復権(1-14頁)

「「歴史」がすでに往年の特権的な光と輝きを喪失しているとすれば、われわれはまさに「神の死」ならぬ「歴史の死」に立ち会っているのである。もちろん、歴史的時間が停止したわけではない。停止したのは、個人の行為や個々の歴史的出来事をあまねく意味づけ、支配してきた「大文字の歴史」ないしは「超越論的歴史」の権能である」(3)
フランシス・フクヤマ以前に、中村雄二郎がコジェーブを参照して「歴史の終焉」を論じていたことは慧眼であった。
「歴史の終焉」に意味があるとすれば、それは「超越論的歴史」というヨーロッパの特殊な歴史観に基づく歴史哲学の終焉、「歴史の目的論」の衰亡という意味においてである。それ以外にはない。
コジェーブとフクヤマは「歴史の終焉」を現代の世界情勢と安易に結び付けており、彼らの議論は床屋政談の域を出ていない。「むしろ「超越論的歴史」の終焉は「歴史の始元」や「歴史の終焉」を大仰に説くような言説、すなわちヘーゲルコジェーヴフクヤマ的言説の終焉をこそ宣告している」(8)

コジェーブは「歴史を「物語る」という言語行為によって構成されるもの」という見方を示唆したが、これこそ「歴史の終焉」以後に「歴史」を語りうる唯一の立場である(10)。

歴史的な出来事は複数の出来事を関連付ける「人間的コンテクスト」において、生成・増殖・変容・忘却される。つまり、「過去の出来事は新たな「物語行為」に応じて修正され、再編成される」(11)。
※これ自体は当たり前のことでしかない。
「歴史は絶えず生成と変化を続けていくリゾーム状の「生き物」なのである」(12)

予想される反論:過去の変化は過去に対する評価が変化しただけであり、過去に起きた出来事そのものは変化していない。
それに対する応答:人間的コンテクストから独立した「出来事そのもの」は物語られる歴史の中には存在し得ない。「出来事そのもの」を同定するためにも、われわれは人間的コンテクストを必要とする。

「物語文は、諸々の出来事の間の関係を繰り返し記述しなおすことによって、われわれの歴史を幾重にも重層化して行く一種の「解釈装置」だと言うことができる。いわゆる「歴史的事実」なるものは、絶えざる「解釈学的変形」の過程を通じて濾過され沈殿していった共同体の記憶のようなものである」(12-13)
cf.大森荘蔵の「過去の制作」

歴史は「人間によって語り継がれてきた無数の物語文から成る記述のネットワーク」のことであり、そのネットワークは増殖と変容を繰り返す(13)。それによって、ネットワーク全体の布置が変化し、既存の歴史は再構成されることになる。「過去は未来と同様に「開かれている」のであり、歴史は本来的に「未完結」なのである」。
物語文はその本質において可謬的であり、「いかなる物語文も修正を免れない」と言える。

「人間は「物語る動物」あるいは「物語る欲望に取り憑かれた存在」である。それゆえ、われわれが「物語る」ことを止めない限り、歴史には「完結」もなければ「終焉」もありはしない」(13-14)
「歴史の終焉」をめぐる議論は「超越論的歴史」に引導を渡すと共に、歴史記述における「物語の復権」を促すという一点において意義あるものとなる。
「物語の復権」は歴史を「神の視点」から解放し、「人間の視点」へと連れ戻すことでもある。
「超越論的歴史」の終焉によって、我々は真の意味での歴史哲学を構築できる唯一の地点に到達したと言える。