読書メモ:野田又夫「哲学の三つの伝統」(1969年)

 昨年、ちくま新書から『世界哲学史』(全8巻+別巻)が刊行され、読書人の関心を引き付けることになった。同書は哲学を古代ギリシアに端を発する知の営みとみなす従来の考えを相対化し、より普遍的・多元的な「世界哲学」という見方を提示した
ところで、これに先立つこと50年以上前、野田又夫が論文「哲学の三つの伝統」(1969年)において西洋特有の知としての哲学を相対化する視点、つまり、古代ギリシアの思想だけではなく、古代中国と古代インドの思想をも哲学の源泉であるという見方を提示した。ロシアやアフリカの思想がその視界に入っていなかったとはいえ*1、野田が世界哲学史の先駆けの1人であることは疑いを得ない。
『世界哲学史』の出版によって、野田の議論は急激に重要性を増したと言える。そのため、このメモ書きを作成するに至った。なお、今回参照したのは2013年に岩波文庫として出版された『哲学の三つの伝統 他十二篇』に収録されているバージョンである。

※最後の方に京都学派の哲学者に対する批判と思しき文言があるのが気にかかるが、名指ししているわけではないので何とも言いようがない。

「哲学の三つの伝統」

三つの伝統と現代(45-52頁)

「哲学は、神話が目ざしたところの、世界と人生の意味づけを、改めて理性的反省によって行おうとしたものである」(46)。この意味での哲学は紀元前7世紀から6世紀にかけて、インド・中国・ギリシアの3か所で同時に開始されたと言える。
現存する文化民族はこの3つの思想の源泉のどれかに端を発するものである。3つのうち、どれか1つの流れを汲みさえすれば、人間は人生についての理性的解釈を持つことができた。「日本人は中国とインドの古代思想に接するだけで、ギリシア哲学を知らなくても、哲学をもちえた」(47)。
少なくとも、15世紀から16世紀までは、諸民族の哲学の間に深浅の差はなかったと思われる。

中国古代の哲学
神話を合理化する方向へと展開され、道徳哲学や社会哲学が発展した
インド哲学
神話から徐々に形而上学へと進んでいった
古代ギリシアの哲学
神話から客観的な自然学へと展開されていった

古代のインド・ギリシア・中国では哲学と科学は未分化の状態にあったが、科学革命以後、哲学と科学は分化した。
諸学の基礎を与えるものとしての哲学と人生観や世界観の問題を追及するものとしての哲学―前者は高度な論理性を要求し、後者は非論理的な決意や信仰を扱っている―は統一を失っているかに見える。
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この問題は近代特有の問題ではない。「すでに古代において、神話の与えようとした世界と人生との解釈を、哲学が理性によって再構成しはじめた瞬間に、哲学の背負い込んだ問題」である(51)。
理性的な学問であろうとする要求と人生観・世界観を与えようとする要求の間にもともと緊張が存在していたが、その緊張が西洋の思想伝統において特に強まったというのが今日の事態である

思想の論理性(52-59頁)

論理性の3つの段階
・修辞法的段階
プロタゴラスに代表される。その論理の中に神話や寓話の類を含む
弁証法的段階
ソクラテスに代表される。一問一答の繰り返しによって、矛盾の有無を吟味していく
・論証法的段階
アリストテレスに代表される。いくつかの基礎的な概念・命題から厳密な演繹によって他の命題を導き出していく

古代中国の諸子百家の説くところは修辞法的段階に留まっている。墨家や法家の主張には弁証法的な要素が見られるが、儒家の主張では弁証法的な論理よりも修辞の洗練に走る傾向が見られる。老荘思想にも儒家と同様の傾向が存する。
一方、古代インドの思想は弁証法的である。

古代中国・古代インドの思想と比較したとき、古代ギリシアの哲学が持つ論理的要求は両者をはるかに上回るものである。
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理論哲学と実践哲学の二つを厳密な意味で一つの論理体系に収めることができない以上、厳格な論理性に到達した古代ギリシアにおいても、両者の統一としての哲学は正確な論証的体系には到達できなかった。

ギリシアの哲学―この場合は学問全体を意味する哲学である―は、厳格な論証法の意識をもったからこそ、幾何学を生み、論理学を生みえたのであった」(59)。これと同じことは古代ギリシアの哲学を継承した西洋哲学にも言える。

西洋哲学と近世科学(59-65頁)

本来の「西洋哲学」は中世哲学に始まるものであり、そこでは哲学の古代における成立過程が反復されている。「西洋人はまずキリスト教という「神話」を受け容れ、ついでそれを合理化し世俗化する努力において、「哲学」を生んだ」と言える(59)。
ただし、キリスト教という「神話」は古代ギリシア・インド・中国におけるそれとは異なり、それ自身の論理的組織を備えたより普遍的な「神話」であった。それ故、「神話」と哲学の対立は極度の緊張(スコラ哲学における信仰と理性の間の緊張)を生じさせることになった。

15世紀から16世紀にかけての中国思想と西洋哲学の間に深浅はなかったが、相違は確かに存在していた。
中国思想も仏教というより普遍的な「神話」を受容することになったが、仏教と理性的な哲学の間に対立が生じることはなかった。

17世紀前後、西洋の哲学者たちは学問の論理性に対して極めて高い要求を持つようになった。
ガリレイデカルトニュートンが、ギリシアプラトンを受けて、学問の論理を厳格な意味に取ろうとし、哲学の方法の模範を再びギリシア幾何学に求めたとき、その結果として、ギリシアにおいてはまだ正確な幾何学の適用を受けなかった自然学が、新たな数学的体系として立てられることになる。それが、数学的自然学すなわち近代科学なのである」(61)。

西洋における近世科学の成立、その技術化による産業革命が世界の歴史及び哲学の三つの伝統において有する意義は極めて大きい。
科学の自然観を機械的・非人間的と論難し、古代の自然哲学に帰るべきだと主張する者がいるが、これは不当である。「近代科学が自然を機械化すること、すなわち自然学の基礎に力学をおくことは、自然そのものを広く深くとらえようとする、高度の客観性の要求からの帰結であって、それを客観性の低い次元に還そうとすることは一種の希望的思考に戻ることにすぎない」(63)。

現代の哲学者に課せられた相反する2つの課題
・科学という第一次的な世界認識に対して、第二次的な反省を加える
※科学の専門分化が著しい今日の状況では、哲学者が果たすべき役割は単なる第二次的な反省ではなく、客観的な世界に加えて人生全体をも視野に入れる反省である。
・宗教や神話が独断的に与えてきた人生の意味に対する答えを、改めて批判的に考察する

「東洋の、また日本の思想的伝統を、もう一度見なおそうとするさまざまな試みにおいて、哲学者そのものが、ただの文献学者・修辞学者となり、しかも一種の独断的な世界観の押売りをする者となる可能性は、大いにある。私の経験からいえば、そのような試みが、政治の勢いに乗って、大いに幅をきかしたのは、第二次世界大戦に近づくころからの日本の思想界においてであったが、そのとき熱心に日本の伝統の発掘が行われ、しかもなに一つ哲学に有用な結果を生まなかった」(64)
「伝統を見なおすことが悪かったのではない。客観性の規準を引き下げ、いわば点を甘くしたのが悪かった」

過去の失敗を踏まえるに、哲学は「世界観の探究においても、高度の論理的客観性の要求を、みずからに課する用意がなくてはならない。これが哲学に要求される禁欲である。哲学者とはみずからの満足のためや人心に訴えるための論をかまえようとはせぬ者のことである」(64-65)。

哲学者としての専門的訓練は論理的客観的要求を満たすために行われるべきではある。しかし、哲学の視野そのものは専門的に狭く限られたものであってはならない。
世界認識と善の選択との統一が、自由な、広い反省によってつかまれることこそ、哲学のはじめからの課題であり、学問の分化がひどくなっている現在においても、やはり哲学の課題は、そのことになければならない

*1:イスラームについては論文「西洋哲学の特徴」(1966年)に簡単な言及がある