映画感想:『ナイル殺人事件』(2022年)

 映画『ナイル殺人事件』(2022年)を鑑賞してきたので、いつものように感想をブログに書き留めておく。以下で長々と述べることを一文で要約すると、「原作との差異を生み出そうとした試みはそのほとんどが不発に終わっているが、実力派俳優(特にエマ・マッキー)たちの演技を見ることができるので、ミステリファンならずとも一見の価値はある」となるだろう。

あらすじ

  第一次世界大戦中、エルキュール・ポワロはベルギー軍に従軍していた。ある日、ポワロが所属する小隊に無謀としか思えない突撃命令が下されるが、ポワロが提案した奇襲作戦が見事成功し、ほとんど犠牲を出さずに敵の陣地を占領することに成功した。ところが、その戦闘の中、ポワロが尊敬していた上官は爆発に巻き込まれて命を落とし、ポワロ自身も顔に大きな傷を負ってしまった。
 ポワロが野戦病院で治療を受けていると、1人の女性が危険を顧みずに彼を見舞いに来た。その女性とはポワロの恋人、キャサリンであった。キャサリンは顔の傷を気にするポワロに「口ひげを生やせばいいじゃない」と言った。改めて愛を確認し合った2人だが、その帰り道、キャサリンは命を落としてしまう。

それから20年以上のときが経過した。ポワロは探偵として世界的な名声を博すに至り、ある目的のためにエジプトを訪れていた。そんなポワロに警備の依頼が舞い込んできた。依頼主は才色兼備の大富豪、リネット・リッジウェイであった。リネットは屋敷の管理人だったサイモンと結婚することになり、エジプトでの優雅なハネムーンを満喫するつもりでいた。ところが、サイモンの元婚約者、ジャクリーンが2人の行く先々に現れ、身の危険を感じているのだという。
 こうして、ポワロは2人の旅に同行することになったが、最悪なことに、リネットが何者かに射殺されるという事件が発生してしまう。容疑者の中で最も疑わしいジャクリーンには完璧なアリバイがあり、しかも、他の同行者全員がリネット殺害の動機を抱えているという何とも困難な状況であった。
 ポワロはこの難事件を解決すべく灰色の脳細胞をフル回転させるが、そうこうしているうちに、第2・第3の殺人が発生する。

評価点

 後述のように、本作には欠点がいくつかあるわけだが、それらの欠点は豪華キャスト陣による好演によって相殺されている。才色兼備の大富豪を演じたガル・ガドット、ベッドの上でしか輝かないノータリン男を演じたアーミー・ハマー、息子の恋愛に口を出そうとする母親を演じたアネット・ベニングらの演技はどれも素晴らしかったが、その中でも特に際立っていたのがエマ・マッキーとソフィー・オコネドーの演技であった。

 エマ・マッキーの名前が世間に広く知られるようになったのはNetflixのドラマ『セックス・エデュケーション』(2019年-)であろう。同作で彼女が演じたメイヴは所謂ストリート・スマートの持ち主であり、貧困や毒親の問題に苦悩しながらも、彼女なりに自分の人生を歩んでいこうとするキャラクターであった。他の主要キャラクターも総じて魅力的だったが、メイヴは1話目から視聴者の心を鷲掴みにしたように思う。私も「この女優は要注目だな」などと思った記憶がある。
 だからといって、ワンダーウーマンで知られる大スター、ガル・ガドットと対等に張り合えるだけの存在感をいきなり発揮するとまでは予想できなかった。『ナイル殺人事件』はジャクリーンとリネットの双方に同じくらいの魅力・存在感がないと成立しないわけだが、マッキーはこの難行に果敢にも挑んだのである。恋の炎に善悪を判断する理性までもを焼かれながらも、リネット殺害計画を練り上げ、自分たちの犯行に気がついた2人を躊躇なく殺害。全てが露見するや、愛する男と共に死ぬ。ジャクリーンは狂気と理性が同居する複雑な人物だが、マッキーはそれを一身に表現しきった。天晴れとしか言いようがない。

 ブルース歌手、サロメ・オッタボーンを演じたソフィー・オコネドーも印象に残った。原作小説では第3の被害者となるオッタボーンだが、今回は何故か生存する結末を迎えている。この改変だけは良かったと思う。「差別されたくらいで一々発砲していたら、銃弾が何発あっても足りない」とポワロに言い放ったときの凄みは悲哀をはらんだものであり、たった一瞬であるにも拘らず、観客の目に焼き付いただろう。あの偏屈なポワロが思わず恋に落ちたのも頷ける。

問題点

エジプトでのシーンに合成が目立つ

 原作『ナイルに死す』がアガサ・クリスティの代表作の一つになれた要因には、舞台となったエジプト及びナイル川のミステリアスな雰囲気が間違いなくある。ところが、本作におけるエジプトでのシーンは誰がどう見ても合成だとわかるシーンがあり、どうにも興ざめである。出演者のスケジュール確保や予算の問題でエジプトでのロケができなかったのかもしれないが、原作の魅力をそぎ落としてどうするのか。

サイモンに魅力が感じられない

 原作小説を読んだときにも思ったことだが、サイモン・ドイルのような軽薄な男が何故リネットやジャクリーンを夢中にさせられたのかが分からない。サイモンはベッドの上では英雄であるとが示唆されているわけだが、具体的な描写がないため、見ている側にはどうにもぴんと来ない*1。サイモンが文章ではなく映像で表現されると、この欠点は一層際立つ。サイモンは予想外の出来事やポワロの推理に追い詰められあたふたするばかりであり、そこに男らしさの類は微塵も感じられない。それどころか、物語終盤の動作や表情の一つ一つに情けなさが垣間見える。はっきり言って、我を忘れて没入してしまうほどの魅力がサイモンにあるとはとても思えない。

原作にない要素が不発に終わっている

以下の3つの要素は原作小説には存在せず、本作で新たに付け加えられた要素なわけだが、どれも上手く機能しているとは言い難い。

・スカイラーとバワーズの同性愛関係

→スカイラ―とバワーズの同性愛関係が描かれたのは、多様性への目くばせにはなっているが、それが物語中で生かされることはなかった。多様性を尊重した描写を心がけることは確かに大事だが、取り敢えず多様性を盛り込めばよいというものでもなかろう。やっつけ感が漂うばかりである。

・第3の被害者をサロメ・オッタボーンからブークに変更

 →第3の被害者をブークに変更したのも頂けない。生真面目なポワロとどこか浮ついているブークのコンビは意外にも相性が良く、ポワロの相棒としてこれからも活躍する姿を見たかったというのも勿論ある。しかし、それだけではない。本作でブークは想い人のためにこれまでの自由気ままな生き方を改める決意を固めた。ブークの死はその矢先の出来事であり、どうにもやり切れない。ブークの母親が泣きながら下船する姿は何とも苦いものであり、ただでさえ後味の悪いストーリーが一層陰鬱になっている。

・「恋人の死」というポワロのトラウマ

→ポワロの過去を描いたのはポワロに人間味を持たせるためなのだろう。しかし、彼のトラウマに関する描写はストーリーの本筋を乱すようなことはないにしろ、何かプラスになっているとも思えない。リネットが殺される前、ポワロが「貴方にはまだ2つの道が残されている。このままサイモンの人生を破滅させるか、それとも、新たな人生を歩みだすか」とジャクリーンに告げるシーンがある。それを踏まえれば、恋と共に破滅する道を選んだのがジャクリーン、破滅を回避したのがポワロという対照が成り立つのだろうが、「だから何」という感が残る。
 さらに言えば、エピローグでトラウマを乗り越えたポワロの姿が映し出されるわけだが、カタルシスめいたものは全く感じられなかった。冒頭のシーンとエピローグの間にある一連の事件、特にその直前にあるジャクリーンの自決が強烈に過ぎ、その2つの間の連続性が切断されてしまっているのである。はっきり言って、ポワロのトラウマというサブプロットは蛇足でしかなかったと思う。

まとめ

 欠点が目につく作品ではあるが、豪華キャストの演技合戦を見るだけでも十分に楽しめるはずである。アガサ・クリスティ原作の映画として人々の記憶に残るほどの出来ではないにせよ、本作はエマ・マッキーの出世作として記憶されるのではあるまいか。

 

 

*1:レイティングの関係で具体的な描写を入れることはまず無理だったとも思うが