読書メモ:木田元「哲学と反哲学」(1985年)①

 太平洋戦争で日本の敗色が濃厚になってきた頃、田辺元は現実に対する自らの哲学の行き詰まりを痛感し、最終的には懺悔道という独自の哲学を構築するに至った。懺悔道は従来の西洋哲学同様、絶対知への到達を永遠の目標としつつも、従来の哲学とは質を異にしているという意味で「哲学ならぬ哲学」とも表現された。
 この表現を見て、「後期のメルロ=ポンティが提唱した反哲学と比較することで、懺悔道の独自性が浮き彫りになるのではないか」というアイデアを思い付いた人も少なからずいるのではないかという気はする。今回読んだ木田元の論文「哲学と反哲学」(1985年)はそのアイデアを具現化するための手がかりの1つになり得るものだと思われる。この論文は1980年代の日本の哲学を考える上でも重要な1本だが*1、今回はその点を脇に置く。
 この論文はその後、木田の論文集『哲学と反哲学』(1990年)に収録され、同書は1996年に岩波現代ライブラリーから、2004年に岩波現代文庫から再版された。今回参照したのは岩波現代文庫のテクストである。

「哲学と反哲学」

はじめに―<反哲学>としての現代哲学(2-5頁)

 現代の哲学者の中には自分の思想的営為を<哲学>という名で呼ぼうとしない者がいる。ハイデガーメルロ=ポンティは哲学の歴史性・特殊性に注目した。
「<哲学>とは<西洋>と呼ばれる文化圏の、それも特定の歴史的時代に固有なある特殊な知の様式を目指す歴史的概念だと言って良い」(4)
<哲学>という特殊な知が近代ヨーロッパ、ひいては現代の巨大な技術文明の形成原理となった。近代や技術文明を批判しようとする哲学者が自らの思想的営為を<反哲学>と称するのは理解できるが、彼らは<哲学>の本質をどのように理解し、それに対してどのような<反哲学>を打ち出したのか。
これを詳細に検討することは、西洋とは全く異なる思想的伝統を持つ我々が<哲学する>ことの意味を考えるのに欠かせない。

第1節:哲学以前の思索と哲学(5-14頁)

ハイデガーの講演「哲学―それは何であるか」(1955年)に見える哲学観
・フィロソフィアとしての哲学はギリシア精神の実存であり、西洋=ヨーロッパの歴史の最も内的な根本動向である。それはソフィストたちによって用意され、ソクラテスプラトンが推し進め、アリストテレスによって定式化(「存在者とは何か」)されたものである。その後の2千年間、フィロソフィアは多様に変化したが、その本質はアリストテレスからニーチェに至るまで変わることがなかった。
ハイデガー自身が「この<哲学>の解体を企てている以上、まだ到来してはいないにしても、その下限もあるということになろう」(8)


ヘラクレイトスパルメニデスの思索はフィロソフィアではない。両名は哲学者よりも偉大な思索者であり、その思索は別次元のものである。
「存在という視野のうちに、すべてのものが存在者として現われ出て、いわば一つに集められているということ、(中略)、この事態こそが古い時代のギリシア人にとっては何よりも<驚くべきこと>であった」(12-13)
「早期のギリシア人は、この事態に驚きつつ、それをそのままに受け容れ、おのれ自身をもその存在の統一のうちに、いわばそのロゴスに言い応じ、随順しつつ包みこまれてあろうとした」(13)

ソクラテスプラトンアリストテレスは存在者が存在しているという驚きを強調しようとして、存在者の統一を可能にしているものは<何であるか>と問うた。しかし、ハイデガーに即せば、ロゴスに随順して生きることとロゴスを問うことは質を異にするものである。<何であるか>と問うとき、存在の統一は崩れ、別の次元の思索がフィロソフィアへと転じた。

<それは何であるか>という問い方自体がギリシア的、西洋=ヨーロッパ的、<哲学的>なものである。このように問う時点で、既に存在へのある種の態度決定がなされている。
<存在とは何であるか>と問うとき、そこでいう存在は<本質存在>のみを意味する。

*1:論文「哲学と反哲学」は木田が編集に携わった『新岩波講座 哲学』の第1巻「いま哲学とは」に収録されたものである。第1巻には編集委員全員が寄稿しており、哲学とはなにか、そして、哲学に目下どのように取り組んでいるのかをそれぞれの立場から論じている。坂部恵「かたりとしじま」や中村雄二郎「知の通底と活性化」、大森荘蔵「過去の制作」といった重要論考が並んでおり、これらが同時代に思索されたことの意味を考えるのは面白い作業のように思える